「腸を整えれば不安が消える」は、どこまで本当か
目次
体内のセロトニンの90%以上は、腸で作られています。ここまでは事実です。
ただ、このセロトニンは脳には届きません。血液と脳のあいだには関門があり、腸で作られたセロトニンはそこを通れないからです。
「幸せホルモンは腸で作られる。だから腸を整えれば不安が減る」。よく見かける説明ですが、途中の一段がつながっていません。
それでも、腸と脳のつながりを調べる研究は、この20年ほどで大きく伸びました。どこまでが確かで、どこからが期待なのか。マウスの実験、人の観察研究、人の臨床試験の順に見ていきます。
腸と脳をつなぐ道は、セロトニンの輸送とは別にある
腸で作られるセロトニンは、主に腸の動きの調節などに使われ、血液中では大半が血小板に取り込まれています。Grondin氏とKhan氏は2023年の総説で、腸などで作られたセロトニンは血液脳関門を通れず、脳のセロトニンとは別の貯蔵だと整理しています。
では、腸と脳は無関係かというと、そうでもありません。アイルランドのユニバーシティ・カレッジ・コークのCryan氏らは、2019年に130ページを超える総説をまとめました。そこでは腸内細菌と脳がやりとりする経路として、免疫系、トリプトファン(セロトニンの材料になるアミノ酸)の代謝、迷走神経、腸の神経系、細菌が作る短鎖脂肪酸などの物質が挙げられています。
同じ総説は、ストレスが腸内細菌の状態に大きく影響しうることにも触れています。矢印は腸から脳への一方通行ではありません。不安やストレスが続くと腸の状態が変わる、という逆向きの道もあります。
この逆向きの道は、あとで人の研究を読むときに効いてきます。
生田哲さんは『心と体を健康にする腸内細菌と脳の真実』で、この分野を「脳-腸-腸内細菌相関」と呼び、腸と脳が腸内細菌を介して双方向につながっていると紹介しています。
マウスでは、腸内細菌が不安行動を変える
腸内細菌と心の関係を示す証拠の多くは、動物実験から来ています。
出発点としてよく引かれるのが、九州大学の須藤信行氏らが2004年に発表した研究です。腸内細菌を持たない無菌マウスの体を動けないように拘束してストレスを与えると、ストレスホルモンの上昇が、普通のマウスより大幅に大きくなりました。
この過剰な反応は、ビフィズス菌の一種を定着させると元に戻りました。一方、普通のマウスの便を移して反応が一部でも改善したのは、生後早い時期に移した場合だけで、育ってから移しても改善しませんでした。
2011年には、カナダのマクマスター大学のBercik氏らが、行動の傾向が違う2系統のマウスで腸内細菌を入れ替えました。慎重な系統の無菌マウスに活発な系統の腸内細菌を定着させると、探索行動が増えました。逆向きに移すと、探索行動は減りました。
生田さんの本が「臆病なマウスが勇敢に変身した」と紹介しているのも、この種の実験です。
結果は「菌がいないと不安になる」という単純な形でもありません。同じ2011年、スウェーデンのカロリンスカ研究所のDiaz Heijtz氏らは、無菌マウスのほうがよく動き回り、不安に似た行動が少ないと報告しました。ストレスホルモンは過剰に出るのに、行動は大胆になる。無菌という極端な条件では、体の反応と行動が別々の方向に動いています。
動物実験をまとめた数字もあります。米国カンザス大学のReis氏らによる2018年のメタ分析(複数の研究をまとめて解析する方法)です。動物実験22件、743匹を合わせると、プロバイオティクス(体によい働きを期待して摂る生きた菌)は不安に似た行動を減らしていました。
人では、つながりは見えても、菌を摂った効果は小さい
人の研究は、大きく2種類に分かれます。腸内細菌と心の状態の関係を観察する研究と、実際に菌を摂ってもらって変化を見る臨床試験です。
観察研究で大規模なものの一つが、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学のValles-Colomer氏らが2019年に発表した研究です。ベルギーの1,054人の便を調べ、オランダなどの別の集団でも結果を確かめました。うつ病の人ではコプロコッカスとディアリスターという細菌が少なく、この傾向は抗うつ薬の影響を補正しても残りました。
この研究が扱ったのは、不安ではなく、うつと生活の質です。しかも観察研究なので、細菌が少ないからうつになったのか、うつで食事や生活が変わって細菌が減ったのかは区別できません。
中室牧子さんと津川友介さんは『「原因と結果」の経済学』で、相関を因果と取り違える典型として、両方に影響する第3の要因(交絡因子)と、逆の因果関係を挙げています。腸内細菌の研究は、この両方に当てはまります。たとえば食生活や運動、服薬は、腸と心の両方に影響します。そしてストレスは、腸内細菌を変えます。
では、菌を摂ってもらう臨床試験ではどうか。
先のReis氏らの分析では、人を対象にした14件、1,527人の研究を合わせても、プロバイオティクスで不安が減るという統計的に意味のある差は出ませんでした。動物で見えた効果が、人では確認できなかったことになります。
米国ブラウン大学のLiu氏らによる2019年のメタ分析は、34件の比較試験をまとめ、不安への効果を「小さいが統計的に意味のある差」と報告しています。その効果量は0.10でした。一般に「小さい効果」の目安とされる0.2の半分です。
診断を受けた患者に絞ると、数字は大きくなります。2025年に発表されたAsad氏らのメタ分析では、不安を測った9件、510人で中程度の改善が見られました。ただし著者ら自身が、研究ごとのばらつきが大きいこと、効果が出た研究ほど発表されやすい偏りの兆候があることを報告しています。質の低い研究を除くと、効果の大きさは約3割小さくなりました。使われた菌の種類や期間もそろっていません。
動物実験の側にも、批判的な検証があります。Walter氏らは2020年のCell誌の論文で、人の腸内細菌を無菌のネズミに移す実験を調べました。38件中36件、つまり95%が「病気の特徴がネズミに移った」と報告していたのです。著者らは、この割合は高すぎて考えにくく、病気における腸内細菌の役割を誇張していると指摘しています。
腸を整えることと、不安を治すことを分けて考える
ここまでで分かっているのは、腸と脳が複数の経路でつながっていること、そしてマウスでは腸内細菌が不安に似た行動を変えることです。分かっていないのは、人で腸内細菌を変えたときに、不安がどれだけ、誰に、どの菌で減るのかです。
誤解:原因のはっきりしない不安は、腸内環境が悪いせいだ → 腸は候補の一つにとどまります。鈴木祐さんは『最高の体調』で、不安をもともと危険を知らせるアラームとして捉えています。鳴っている理由は、仕事の状況や将来への心配、体調など、ひとつとは限りません。
正しいアプローチ:腸活は、不安の治療ではなく食事の習慣として続ける → 鈴木さんは同じ本で、発酵食品と食物繊維で腸内細菌を育てることを勧めています。たとえば、きのこや海藻、豆類を1日1品増やす。こうした食事は腸以外の理由でも勧められているので、不安への効果を約束されていなくても、続ける価値はあります。
誤解:プロバイオティクスのサプリで不安を治せる → 人の試験では、効果は小さいか、研究によってばらばらです。治療中の人が自己判断で薬をやめ、サプリに置き換えるのは危険です。
腸と不安の話を見かけたら、たとえば次の2点を確かめてみてください。その研究はマウスの話か、人の話か。人なら、関係を観察しただけか、実際に試して比べたのか。この2つで、記事の確からしさはかなり見分けられます。
不安で眠れない日が続く、仕事や家事に手がつかない、動悸や息苦しさを伴う発作がある。そんなときは、食事を変えるより先に、心療内科や精神科、かかりつけ医に相談してください。不安の病気には、効果が確かめられた治療があります。
おわりに
腸と脳の研究は、面白い分野です。ただ、面白い研究ほど、マウスの結果が人の話として語られやすい。
「腸を整えれば不安が消える」の手前には、まだ埋まっていない段がいくつもあります。腸を大事にすることと、不安そのものに手当てをすることは、両方やってかまいません。どちらか一方で済ませようとしないことが、いまの研究から言える一番確かなことです。
この記事で参考にした本
『心と体を健康にする腸内細菌と脳の真実』生田哲 → 無菌マウスや腸内細菌の入れ替え実験など、「脳-腸-腸内細菌相関」を支える動物研究の流れ
『「原因と結果」の経済学』中室牧子、津川友介 → 相関と因果を分ける考え方。交絡因子と逆の因果関係という2つの落とし穴
『最高の体調』鈴木祐 → 不安を危険を知らせるアラームとして捉える見方と、発酵食品と食物繊維で腸内細菌を育てる食事
合わせて読みたい
『究極のマインドフルネス』メンタリストDaiGo|不安は「敵」じゃなかった 不安そのものとの付き合い方を扱った一冊です。腸の話では手が届かない、頭の中で鳴り続ける不安への対処を補えます。
「体にいい成分」を探すほど、健康から遠ざかる 健康情報の根拠には強さの段階がある、という話です。マウスの研究と人の試験を見分けるときの物差しになります。
「漠然とした不安」が判断を狂わせる──恐怖を書き出すと、行動が変わる理由 理由のはっきりしない不安を、書き出して扱える形にする方法です。体の側から見たこの記事と、考え方の側から並べて読めます。