世界は良くなっているのに、ニュースを見ると絶望する理由
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2021年、日本の刑法犯の認知件数は約57万件で、戦後最少になりました。ところが同じ年の暮れに内閣府が行った調査では、54.5%が「ここ10年で日本の治安は悪くなった」と答えています。
10年前と比べても、件数は半分以下です。 それでも半数を超える人が、悪化を感じていました。
この食い違いは、日本だけのものではありません。そして調べていくと、ずれ方には決まった形があります。
「近所は安全、国全体は危ない」という食い違い
米ギャラップ社の2025年10月の調査では、国内の犯罪問題を「非常に深刻」「かなり深刻」と答えた人が49%いました。同じ質問を「自分の住む地域」について聞くと、12%まで下がります。
同社のフランク・ニューポート氏によると、この差は2000年に調査を始めて以来、毎回出ています。25年間の平均で43ポイントです。
もう一つ、同社は1989年から「全米の犯罪は1年前より増えたか」を32回聞いてきました。過半数が「増えた」と答えなかったのは、そのうち3回だけです。公式統計では、特にここ数十年、犯罪はおおむね減ってきました。
ニューポート氏の説明はこうです。地域の判断は自分や知人の経験に支えられている。国全体の判断は、劇的な事件や大きな物語に支えられている。
世界規模でも同じ傾向が出ています。調査会社イプソスが2017年に38の国と地域で2万9,133人に聞いたところ、「自国の殺人の発生率は2000年より下がった」と答えた人は7%でした。実際には、調査対象の国全体で29%下がっていました。
自分の目で確かめられる範囲では、人はそれほど悲観しません。悲観が強くなるのは、報道を通してしか知りようのない「遠く」を判断するときです。
遠くを見る窓が、ニュースだからです。
ニュースは悪い話を選び、読み手も悪い話を選ぶ
報道が悪い話に偏る理由を、記者の好みだけに求めるのは片手落ちです。読み手の側にも理由があります。
ミシガン大学のスチュアート・ソロカ氏らは2019年、日本を含む17か国で1,000人を超える人にBBCのニュース映像7本を見せ、皮膚の電気反応と心拍の変化を測りました。平均すると、否定的なニュースのほうが体の反応が強く出ています。
ただし著者たちは、個人差がかなり大きかったことも強調しています。悪い話に強く反応しない人も、少なくありません。
実際のクリックでも、同じ向きの結果があります。クレア・ロバートソン氏らは2023年、ニュースサイトのUpworthyが同じ記事に別々の見出しを付けて出し分けたデータを分析しました。見出しは約10万5,000通り、表示は延べ3億7,000万回を超えます。
平均的な長さの見出しでは、否定的な単語が1つ増えるごとにクリック率が約2.3%上がりました。元のクリック率に対する割合なので小さく見えますが、中身が同じ記事での差です。肯定的な単語は、逆にクリック率を下げていました。
暗い言葉で包んだほうが読まれるなら、送り手は暗い見出しを選び、読み手はそれを押します。悪い話が画面に並ぶのは、この需要と供給が噛み合った結果です。
ハンス・ロスリング氏は『FACTFULNESS』で、物事の悪い面に目が向きやすい傾向を「ネガティブ本能」と呼びました。良い出来事や、ゆっくり進む改善はニュースになりにくい、という指摘です。
もっとも、どの媒体でも同じ強さとは限りません。6か国のメディアのFacebook投稿約600万件を調べた2025年の未査読論文では、否定的な投稿のほうが反応は少なかったと報告されています。
それでも実務上の示唆は変わりません。画面に並んだ件数を、世界で起きている件数と読み替えないことです。たとえば「最近、この種の事件が多い」と感じたとき、事件が増えたのか、報道が増えたのかは、ニュースを見ているだけでは区別できません。
頭の中の「リスクの地図」は、報道の量で描かれる
偏った標本を見続けると、何が起きるのか。
データ分析サイトのOur World in Dataは2025年、米国の2023年の主な死因15種類について、死亡数に占める割合と報道量を比べました。対象はニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、FOXニュースの3つです。
- 心臓病とがんは15の死因による死亡の56%を占めるのに、報道では合わせて7%でした
- 殺人は、死亡に占める割合の43倍の報道量がありました
- テロは、死亡に占める割合の1万8,000倍を超える報道量でした。2023年の米国のテロによる死者は16人です
ダニエル・カーネマン氏は『ファスト&スロー』で、人は出来事の頻度を「例がどれだけ簡単に思い浮かぶか」で判断すると説明しました。利用可能性ヒューリスティックと呼ばれる傾向です。毎日のように報じられる出来事ほど思い出しやすく、多いと感じます。
ロルフ・ドベリ氏は『News Diet』で、ニュースは派手でまれな出来事を過大評価させ、頭の中に誤った「リスクマップ」を作ると書いています。報道の量が、そのまま地図の縮尺になってしまうわけです。
地図がずれると、行動もずれます。心理学者のゲルト・ギーゲレンツァー氏は、2001年の同時多発テロの後、米国で飛行機を避けて車で移動する人が増え、その後1年間の交通事故死が毎月、例年を上回ったことを分析しました。同氏の推計では、例年より多く道路で亡くなった人は約1,600人です。ただし、2012年の追跡分析では、増加がテロの現場に近い北東部に偏っていたことも分かっています。全国で一様に起きたわけではなく、飛行機を避けたことだけが原因とも言い切れません。
怖さと頻度は、別々に見積もる必要があります。たとえば旅行先の治安や子どもの安全が気になったとき、「どれくらい怖いか」と「どれくらい起きているか」を分けて調べるだけで、判断は変わります。
「悪い」と「良くなっている」は同時に成り立つ
ここで、反対側の落とし穴にも触れておきます。「世界は良くなっている」も、確かめずに信じれば同じ種類の思い込みです。
ロスリング氏は、「悪い」は現在の状態、「良くなっている」は変化の方向で、2つは両立すると書いています。
極度の貧困がその例です。Our World in Dataによると、世界銀行の新しい基準(1日3ドル)で見た極度の貧困は、1990年には2〜3人に1人だったのが、いまは約10人に1人です。大きな改善ですが、2024年時点でも約8億1,700万人がこの状態にあります。同サイトは、数十年続いた貧困削減の進歩は終わったとも書いています。
日本の犯罪も同じです。刑法犯の認知件数は、2002年の約285万件から2021年の約57万件まで減りました。ただ、そこから4年連続で増え、2025年は約77万4,000件と、コロナ禍前の2019年を上回っています(警察庁「令和7年の犯罪情勢」)。
長い目で見れば、ピークの3割以下まで減った。直近では増えている。どちらも事実です。
絶望も、根拠のない楽観も、片方だけを見たときに生まれます。
実感をデータで確かめる3つの手順
誤解:「最近増えている気がする」は、ニュースを見ていればわかる → 報道の量と、出来事の数は別物です。気になったテーマの統計を、10年以上の幅で1本だけ見ます。日本の犯罪なら警察庁の「犯罪情勢」、国ごとの比較ならOur World in Dataに長期のグラフがあります。
誤解:身近なことも遠くのことも、同じ精度で判断できている → 判断の材料がどこから来たかを分けます。自分や知人が経験したことか、報道で知ったことか。ギャラップ社の調査のとおり、報道経由の判断ほど悲観に振れやすくなります。
誤解:「良い」か「悪い」かを決めれば結論が出る → 水準と方向を1行ずつ書き分けます。「いまの水準はどうか」「10年前と比べてどうか」。たとえば日本の犯罪なら、「水準はピーク時の3割以下」「直近4年は増加」となります。
5分でできることを1つ挙げます。今日いちばん気になったニュースを選び、関連する統計を検索して、10年前の数字をメモに書き添えてみてください。
おわりに
近所は安全なのに、国全体は危ないと感じる。この食い違いは、私たちが遠くを見るときの窓の形を映しています。
窓を閉じる必要はありません。窓から見える景色を、世界の全体と取り違えなければいいだけです。
次に暗いニュースが続いたら、「これは件数の話か、報道の量の話か」と一度だけ問い直してみてください。
この記事で参考にした本
『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング氏 → 悪い面に目が向く「ネガティブ本能」と、「悪い」と「良くなっている」は両立するという見方
『News Diet』ロルフ・ドベリ氏 → ニュースが派手でまれな出来事を過大評価させ、誤った「リスクマップ」を作るという指摘
『ファスト&スロー(上)』ダニエル・カーネマン氏 → 思い浮かびやすさで頻度を判断する、利用可能性ヒューリスティックの説明
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