「やる気に頼る会社」が、なぜ静かに沈んでいくのか
目次
営業利益率50%超。
日本の上場企業の平均が約8%であることを考えると、キーエンスという会社の数字は異常です。
なぜこの会社だけが、こんな数字を出し続けられるのか。優秀な人材を集めているから? 営業力が強いから?
答えは、もっと根本的なところにありました。
「人は弱い」。この前提で、すべての仕組みを設計しているからです。
「やればできるはず」という前提の落とし穴
多くの会社は、社員に対してこう考えています。
「正しく指示すれば、正しく動いてくれるはず」 「研修を受ければ、学んだことを実践してくれるはず」 「目標を伝えれば、自分で考えて動いてくれるはず」
これを、経営コンサルタントの高杉康成氏は「性善説経営」と呼びます。
性善説でも性悪説でもなく、「性弱説」。人は善でも悪でもなく、弱い。これが出発点です。
正直に言います。私もずっと、やる気を引き出すのが経営の本質だと思っていました。モチベーションさえ高められれば、組織は回る。でも、データを見ると話が変わります。
行動科学の知見では、人間の意思決定の約95%は「システム1」──つまり無意識の自動的な判断──で行われています。リチャード・セイラーとキャス・サンスティーンが提唱した「ナッジ理論」も、人は合理的に動くのではなく、環境の設計によって行動が変わることを示しています。
社員が「正しく動かない」のは、サボっているからでも、能力が低いからでもない。人間という生き物の設計上、そうなっているだけです。
性善説で経営すると、典型的にこういうことが起こります。
CRMを導入した。「入力してね」と伝えた。半年後、使っている人は3割。評価にも連動していないし、入力しなくても何も起きない。当然です。
「報連相を徹底しよう」と号令をかけた。でも、上司が期待している報告と、部下が実際にする報告にはズレがある。上司は「できるだろう」と思っている。部下は「言わなくてもわかるだろう」と思っている。
これが性善説の構造的な問題です。「頑張ればできるはず」は、戦略ではなく祈りです。
「できないかもしれない」から始まる設計
キーエンスの経営を支えているのは、「できないかもしれない」という前提です。
具体的な仕組みを見ると、その徹底ぶりに驚きます。
まず、時間チャージ制度。社員一人ひとりに「あなたが1時間で生み出すべき付加価値は〇〇円」という数字が設定されています。
「生産性を上げよう」と言うだけでは、人は動きません。でも、「あなたの時間チャージは5,000円です。このシュレッダー作業は外注すれば1,500円で済みます」と示されれば、行動が変わります。判断基準が可視化されているから、考えるまでもなく正しい選択ができる。
次に、ニーズカード制度。顧客のニーズを営業担当者が集める仕組みです。
ただし、「集めてね」とお願いするだけでは集まらない。これが性弱説の視点です。キーエンスでは、ニーズカードの提出件数がKPIに組み込まれ、優秀なニーズには報奨金が出る「ニーズカード大賞」まである。
集まらないかもしれないから、集まる仕組みを作る。
私はこの仕組みを知ったとき、正直「ここまでやるのか」と思いました。でも、冷静に考えると、これが本質です。
性善説は「信じる」。性弱説は「設計する」。
信じるだけでは、再現性がない。設計すれば、誰がやっても成果が出る。キーエンスの営業利益率50%超は、社員の努力の結果ではなく、設計の結果です。
「仕組みを入れたのに、なぜ機能しないのか」
ここでもう一つ、重要な知見があります。
仕組みを作っただけでは、仕組みは機能しない。
矛盾しているように聞こえるかもしれません。でも、これこそが多くの企業がDXやシステム導入で失敗する根本原因です。
ユニクロの事例が象徴的です。
ユニクロには「原理原則」という概念があります。経営理念は抽象的すぎる。マニュアルは具体的すぎる。その間を埋めるのが「原理原則」です。
「何をやるか」ではなく「なぜやるか」を言語化したものです。
たとえば「店はお客様のためにある」という原理原則。これがあると、マニュアルに載っていないイレギュラーな状況でも、社員が自分で判断できます。
さらにユニクロでは、毎週月曜日に役員と部長が集まり、前週の結果を徹底レビューする「週次PDCA」が回っています。決まったことはその日中に全店舗へ共有される。
原理原則を作る。浸透させるセッションを開く。セッションの効果を測る評価制度がある。評価制度が機能しているかを週次でチェックする。
仕組みを動かすための仕組みが、さらにその上にある。
キーエンスも同じ構造です。CRMを導入するだけではなく、CRMへの入力がKPIに連動し、KPIが人事評価に連動し、人事評価が報酬に連動する。この「連鎖」がなければ、どんなツールも半年で形骸化する。
リチャード・ルメルトは著書『戦略の要諦』で、こう指摘しています。組織が失敗する最も一般的な原因は、過去の成功体験が「ウチのやり方」として定着し、変化に適応できなくなること。
仕組みがなければ、組織は過去の成功に固執する。仕組みがあれば、変化を検知し、修正するサイクルが回る。
ただし、一つ注意が必要です。McKinseyの調査によると、ナッジ(行動を促す仕掛け)は個別には効果があるものの、組織全体の変革には単発の仕掛けでは不十分で、複数の仕組みが相互に連動する包括的な設計が必要だとされています。
「仕組みを一つ入れれば解決」ではない。仕組み同士をつなぐ設計こそが、性弱説経営の核心です。
よくある誤解と、正しいアプローチ
ここまで読んで、「社員を信頼しないのか」と思った方もいるかもしれません。
それは誤解です。
性弱説は、社員を疑っているわけではありません。人間の認知的な限界を前提に、「それでも成果が出る環境」を設計する考え方です。
誤解:性弱説=管理を強化すること
管理を強化しても、人は「やらされ感」で動くだけ。性弱説のポイントは、やらざるを得ない状況を「自然に」作ること。キーエンスの時間チャージは、管理ではなく「判断基準の可視化」です。数字が見えるから、考えるまでもなく合理的な選択ができる。
誤解:モチベーション施策は不要
不要ではありません。ただ、モチベーション「だけ」に頼るのが危険です。ユニクロは「敗者復活」の仕組みで挑戦意欲を維持しながら、週次PDCAで行動を構造化しています。動機づけと仕組みは、両輪。片方だけでは走れない。
明日から試してみてください。
まず、あなたのチームで「お願い」だけで回っている業務を1つ見つける。それを「やらないと困る仕組み」に置き換える。KPIへの連動、評価への反映、数値の可視化。どれでもいいです。
次に、新しいツールやルールを導入するとき、「これを使わない人がいたらどうなるか」を先に考える。使わざるを得ない仕掛けをセットで設計する。
この2つだけで、「仕組みが形骸化する」という悩みは、かなり減るはずです。
おわりに
人を信じるな、とは言いません。
ただ、人の善意や努力に「依存」する組織は、構造的にもろい。
「人は弱い」。この前提を受け入れた瞬間から、仕組みの設計思想は変わります。そしてその変化が、組織の再現性と持続性を生み出す起点になる。
信じることと、設計することは、矛盾しません。
参考書籍
高杉康成『キーエンス流 性弱説経営』(日経BP・2024年) ── 性弱説の定義と、キーエンスの仕組みを体系的に解説した一冊。「人は弱い」から出発する経営論は、マネジメントの前提を覆します。
リチャード・P・ルメルト『戦略の要諦』(日本経済新聞出版・2023年) ── 戦略を「困難な課題への具体的な行動」と再定義。組織の慣性と偶像化がなぜ衰退を招くかを、膨大な事例から分析しています。
宇佐美潤祐『ユニクロの仕組み化』 ── 「仕組みの9割が成功を決める」というユニクロの経営手法を、内部から体系的に解説。全員経営と原理原則の設計思想が参考になります。
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