失敗を隠す人ほど、同じ失敗を繰り返す
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「あれは、私のせいじゃないんです」
そう言い訳する人ほど、半年後に同じ場所でつまずきます。
私のまわりにも、そういう人がいました。反省していないわけではありません。本人は、けっこう気にしています。
でも、また同じミスをする。
原因は、能力でも、やる気でもありません。「失敗をどう扱うか」です。
失敗を認めると、脳が勝手に「なかったこと」にする
人は失敗を認めるのが、とても苦手です。
理由は自尊心です。「自分は有能だ」という信念と、「失敗した」という事実がぶつかる。すると、強い不快感が生まれます。
心理学ではこれを認知的不協和と呼びます。マシュー・サイドの『失敗の科学』が、この心の動きをていねいに追いかけています。
やっかいなのは、脳が不快感を消すために、事実のほうをねじ曲げることです。
「あれは失敗じゃない」「状況が特殊だった」「運が悪かっただけ」。
こうして、失敗はそっと書き換えられます。
本人にウソをついている自覚はありません。ここが怖いところです。
ウソつきなら、まだ直しようがあります。でも、本人が本気で信じ込んでいるものは、外から指摘してもなかなか届きません。
たとえばサイドは、DNA鑑定で無実が証明されても、自分の判断ミスを認めない検察官の例を挙げています。予言が外れたのに、かえって信仰を強めるカルト集団の話も出てきます。
証拠を突きつけられるほど、人は言い訳を厚くする。
つまり、失敗を隠すのは悪人ではありません。「自分には隠すことなんて何もない」と信じている、まじめで有能な人ほど、無意識に事実を歪めてしまう。
隠しているつもりがない。だから、直せない。
航空業界は失敗が減り、医療業界は減らない
同じことが、業界まるごとの規模でも起きています。
『失敗の科学』がぶつけるのは、航空業界と医療業界の対比です。
航空業界では、事故が起きるとブラックボックスを解析し、原因を記録して共有します。ミスを報告したパイロットは、一定の条件を満たせば処罰されません。失敗が、次の安全のためのデータになる。
サイドはこれをオープン・ループと呼びます。
一方の医療業界は違いました。ミスが起きても「複雑な事態だった」「避けようがなかった」と説明され、詳しく調べられない。失敗の情報が放置され、進歩につながらない。これがクローズド・ループです。
差を生むのは、医師と操縦士の能力ではありません。失敗を「学習の材料」にするか、「なかったこと」にするかの仕組みの差です。
数字も出てきます。サイドの引く推計では、アメリカで回避可能な医療過誤による死者は、多く見積もると年間50万人を超えるという主張もある。イギリスでもヒューマンエラーによる患者の死亡が年間約3万4千人とされます。
もちろん推計には幅があります。ただ、桁が桁です。
象徴的なのが、たとえばエレイン・ブロミリーという女性の医療事故です。看護師は気管切開の準備を整えていました。でも、ベテラン医師たちの作業を遮ってまで進言できなかった。上下関係が、命を救う一言を止めてしまった。
ここで大事なのは、犯人を探しても解決しないことです。
不当に個人を責めると、人はますます失敗を報告しなくなります。失敗が地下に潜る。結果として、もっと大きな事故の温床になる。
たとえばボーイングのB-17という爆撃機では、操縦士が着陸装置とフラップのレバーを取り違える事故が続きました。解決したのは、操縦士への根性論ではありません。心理学者がレバーの形を変え、手触りで区別できるようにした。仕組みで直したわけです。
ここまでは業界の話に見えます。でも、私たちの頭の中でも同じことが起きています。
自分のミスを「たまたまだ」で片づけた瞬間、その失敗は心の中でクローズド・ループに入ります。二度と取り出されない。だから、また同じ形でやってくる。
失敗を「反省」ではなく「記録」に変える
では、個人はどうすればいいのか。
ヒントは、失敗を責める対象ではなく、データとして扱うことです。
畑村洋太郎さんの『失敗学のすすめ』は、失敗情報には厄介な性質があると言っています。放っておくと減衰し、隠れたがり、単純化される。責任転嫁のなかで、原因までもがすり替わる。
だから、意識して残さないと消えます。
面白いのは、畑村さんが「客観的な報告書はほとんど役に立たない」と言い切っている点です。役に立つのは、当事者の一人称の記録。そのとき何を考え、何に焦り、どこで判断を誤ったか。主観こそが、次に生きる知識になる。
失敗を、恥ずかしい過去ではなく、一次情報として書き残す。
畑村さんは、成功談を「陽の知識」、失敗談を「陰の知識」と分けています。
成功のマネは、うまくいったやり方をなぞるだけ。抜けやすいし、応用も効きにくい。でも失敗の記録は、「こうするとまずくなる」を教えてくれます。先人と同じ穴を避けて、一段高いところから始められる。
だから、失敗こそ残す価値があります。
たとえば『トヨタの問題解決』は、目の前の要因に飛びついて対処しても問題は必ず再発する、と指摘します。だから「なぜ」を五回繰り返し、真因までさかのぼる。表面をなでるだけの対策は、再発防止になりません。
もう一つ、サイドが勧めるのが反実仮想の検証です。
「あのとき別の手を打っていたら、どうなっていたか」。これを、思い込みではなく、できるだけ事実で確かめる。うまくいった時も、たまたまなのか実力なのかを分けて考える。
失敗を記録し、真因までたどり、別の可能性を検証する。この三つがそろって、はじめて失敗は学びに変わります。
「気をつけます」を、仕組みに変える
失敗を繰り返す人の口ぐせは「次から気をつけます」です。
でも、気合いは再発を防ぎません。人の注意力は、また同じところで切れます。個人の反省で終わらせず、扱い方の仕組みを持つほうがいい。
三つだけ、今日から試せます。
一つ目は、失敗を書くこと。うまくいかなかったとき、その日のうちに数行残す。何が起きたか、そのとき自分は何を考えていたか。責める言葉ではなく、事実と感情を、そのまま。私はスマホのメモから始めました。自分だけの失敗ノートで十分です。
二つ目は、始める前に失敗を先取りすること。サイドが紹介する事前検死という方法です。プロジェクトの前に「これはすでに大失敗した」と仮定し、その理由をあらかじめ書き出す。犯人探しの空気が消え、リスクを口に出しやすくなります。
三つ目は、責めないと決めること。誰かがミスをしたとき、「なぜやった」ではなく「どうすれば起きなかったか」を先に問う。人ではなく仕組みに矢を向ける。すると、失敗の報告が増えます。報告が増えるほど、直せる失敗も増える。
小さな失敗を歓迎する。逆説的ですが、それが大きな失敗を遠ざけます。
完璧に見える人ほど、小さな失敗を握りつぶしていることがあります。そのツケは、いつか一度にやってきます。
おわりに
失敗そのものが、人を成長させるわけではありません。
失敗を認め、隠さず、データとして扱った人だけが、そこから学べます。
同じ失敗を繰り返す人と、しない人の差は、才能ではなく、その一点にあります。
この記事で参考にした本
『失敗の科学』マシュー・サイド → 認知的不協和とクローズド・ループ。航空業界と医療業界の対比から、失敗を学習に変える仕組みを描く。
『失敗学のすすめ』畑村洋太郎 → 失敗情報の性質と、主観的な記録が次の知識になる理由。
『トヨタの問題解決』 → 「なぜ」を五回繰り返して真因にたどる、再発防止の考え方。
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『失敗の科学』マシュー・サイド|なぜ航空事故は減り、医療ミスは減らないのか この記事の土台になった一冊の要約。仕組みで失敗を減らす発想を、もっと深く。
『トヨタの問題解決』|「困らんやつほど、困ったやつはいない」 真因を突き止め、再発を防ぐ実務の型。失敗を記録した先に、何をするか。
「考えているつもり」が、一番危ない 自分の思考を疑えないと、失敗も見えなくなる。認知の落とし穴の話。