今月は数字が厳しい。そんな話が会議で出たとたん、値下げや広告出稿、営業のテコ入れといった打ち手の相談が始まる。手が動いている感覚があるので、誰も途中で止めない。
だがその相談が始まった時点で、何を解決すべきなのかはまだ定まっていないことが多い。『実践型クリティカルシンキング 特装版』は、企業の変革支援を10年以上続けてきた佐々木裕子さんの講義録だ。
理論の解説書ではなく、受講生が実際の課題を解き、途中で行き詰まり、中途半端な答えで妥協しかける様子がそのまま収められている。
読み進めるうち居心地が悪くなるのは、受講生の甘い答えが、自分が会議で発した意見とほとんど重なって見えてくるからだ。

「クリティカルシンキング」を、著者は包丁にたとえる
著者は、クリティカルシンキングを「物事を批判的に見る力」とは定義しない。目指す到達点を自分で設定し、それを戦略的に実現するための思考法だと位置づける。
近い言葉に「ロジカルシンキング」があるが、役割が違う。ロジカルシンキングは物事を構造的に整理する技術であり、クリティカルシンキングは、その整理を土台にしながら自分でゴールを定め、まわりを実際に動かすところまで踏み込む。
だから著者は、この思考力を包丁になぞらえる。切れ味を保つ手入れそのものは、あくまで美味しい料理をつくるための手段であって、目的ではない。
「『クリティカルシンキングをすること』は目的ではありません」
思考法の本を何冊も読んで満足してしまう読者を、著者は最初から見越している。
背景にあるのは、求められる力そのものの変化だ。かつて有効だった、言われたことを正確に実行する力だけでは、もう足りない。自分で考え、周囲と一緒に答えをつくり、変化に合わせて自分自身を更新していく力が要る。
理由は主に三つある。情報が溢れる今は、完璧な結論を待つより、短時間で筋のよい仮説を出すほうが評価される。前例のない場面では過去の経験が武器にならず、自分で問いを立てる力だけが頼りになる。そして立場や言語が違う相手には、なぜその判断に至ったかを簡潔に説明できなければ人は動かない。
日本人がこの手の目的設定を苦手とするのは、能力ではなく訓練の履歴の問題だと著者は書く。右肩上がりの時代は「豊かな社会」という目的が社会全体で共有されていたので、決められたことを速く拡大再生産する力さえあれば勝てた。
目的を自分で問い直す訓練を、そもそも積んでこなかっただけだ、という見立てである。
目標は「同じ映像が浮かぶ」まで削る
本書が示す思考のプロセスは3段階で組まれている。目指す姿を定義し、何が問題かを特定し、打ち手を考える。この順番を守ることが、本書のほぼすべてだと言ってもいい。
最初のステップがいちばん難しい、と著者は言い切る。目指す姿には唯一の正解がないからだ。目標が曖昧なままだと、その先の議論全体が土台から崩れる。
ではどこまで具体化すれば「決めた」と言えるのか。基準は、聞いた全員の頭に同じ映像が浮かぶかどうかである。著者は、具体的か、事実で判定できるか、行動に転換できるか、意義に納得感があるか、期限が決まっているか、という5つの軸で目標を点検する方法を紹介する。
曖昧なスローガンを、明日から動ける一文まで削り込む作業だ。
歴史上もっとも有名な成功例が、1961年のケネディ大統領の宇宙演説だろう。当時のアメリカは宇宙開発でソ連に後れを取っていた。ここでケネディが掲げたのは、宇宙開発全般の主導権を握るという曖昧な話ではなく、10年以内に人間を月面に立たせて無事に地球へ帰すという一点だった。
有人での大気圏再突入すらまともに実現していない段階で、各地の科学者たちが自分の持ち場で動き始め、1969年の月面着陸につながっている。
同じ構造は、もっと身近な場面にも見つかる。高校時代の大谷翔平選手が「ドラフト1位で複数球団から指名される」という到達点を紙の中心に据え、そこから日々の行動へ逆算していた話も、本書は同じ型として扱う。目標が具体的であるほど、そこにぶら下がる行動も具体的になっていく。
目標の解像度が低ければ、そこから逆算される行動の解像度も低いままになる。これがSTEP①の要旨である。
打ち手より先に「震源地」を探す
課題さえ特定できれば、打ち手そのものは難しくない、と著者は繰り返す。裏を返せば、多くの現場が失敗するのは打ち手の質ではなく、どこに手を打つべきかを取り違えているからだ。
「問題を見つけることは、それを解くよりもっと本質である」
本書が引くアインシュタインの言葉だが、著者の主張もほぼ同じ形をしている。「人材を育てたい」と言われた瞬間に「研修をやろう」と手段へ飛びつく癖こそが、現場をいちばん疲弊させる、と。
震源地を探る道具は、3種類の問いだけである。なぜそうなっているのか。それは本当か。具体的にはどこで起きているのか。この3つを4〜5回重ねないと本質にはたどり着かない、と著者は言う。多くの人は2〜3回で止まってしまう。
本書がもっとも具体的に示すのが、ある保険営業所のエピソードだ。成績が同期の半分だった担当者に、多くの上司は「成績のいい人のやり方を真似ろ」と言いたくなる。
所長役だった著者はそうせず、成果を面談の件数と成約率と1件あたりの契約単価に分けてみた。すると、その担当者は誰よりも多く客先を回っていて、低いのは単価のほうだとわかる。
さらにたどると、高額な契約が見込める顧客のリストをつくる時間が確保できていなかった。だから翌日出た指示は、外回りではなく、一緒にリストをつくることだった。
分解せずに「真似ろ」と言うのは、本人をいちばん消耗させるやり方だ、と著者は手厳しい。
分解の切り口が浮かばないときのために、本書は3つの型を用意する。掛け算と足し算で構造をつくる方法。合わせて全体になる対の概念(投入と産出、意志と技能など)で二分する方法。
静的な分類ではなく時間の流れで並べ直す方法だ。そして、いわゆるMECEの厳密さにこだわりすぎるなとも釘を刺す。漏れなくダブりなく整えきれていなくても、おおむね筋が通っていれば前に進めていい、というのが著者の立場だ。
一方で、整理しただけで満足する資料には3つの型があると著者は分類する。切り口は網羅的でも「で、どこから着手するのか」が見えない一般論型。構造は整っていても言葉が抽象的すぎて行動に落とせない評論家型。
そして、裏づけとなる事実がないまま感覚で課題を絞る砂上の楼閣型。心当たりのある読者は少なくないはずだ。
当たり前の答えの逆を書き、紙と鉛筆で染み込ませる
課題が特定できたら、打ち手を考える段に入る。ここで著者が強調するのは、最初に浮かんだ「当たり前の答え」で満足しないことだ。手順は、当たり前の答えを一度書き、その対極を書き、そこから深掘りと視野拡大を繰り返し、最初の目標に照らして絞り込む、という流れになる。
肝になるのは2番目の工程だ。演習に登場するのが、当時21歳だった大学生がエベレスト登頂を目指した実話である。登山には2000万円ほどの費用と、高所登山の実績が要る。
当たり前の答えは「アルバイトで費用を貯める」だが、その対極は「自分では稼がない」になる。ここから、七大陸最高峰の最年少記録という話題性をつくり、企業のスポンサーを集める道筋が生まれた。
高所経験についても「山には登らない」という対極から、当時まだ珍しかった低酸素トレーニング施設を借りる案にたどり着き、2年半でエベレスト登頂を果たしている。
制約そのものは動かせなくても、その制約を満たす方法についての思い込みは動かせる。この差が打ち手の質を分ける。
この考え方を一度きりで終わらせず、体に染み込ませる工夫も本書は挙げる。PCを開く前に紙と鉛筆で図を書き殴り、しっくりこなければ丸めて書き直す。
1人で考えるのをやめ、自分とは違う視点の相手に説明して「それは本当に原因なのか」と突っ込んでもらう。机上の計算で終わらせず、現場に足を運んで一次情報にあたる。
著者自身、変革支援の仕事に独立する際、机上のシミュレーションではなく大企業の実務に自ら飛び込んだという。
ただし、本書が扱うのはあくまで思考の技術までだ。導いた打ち手を組織の中でどう通すか、利害や社内政治をどう乗り越えるかは、実行の力として切り分けられている。本当の課題がわかっているのに周囲を動かせない、という悩みには、この一冊だけでは届かない。
SMARTもMECEも、道具自体はすでに世に出ているものであり、本書の価値は道具の新しさではなく、それをどこまで反復して運用するかという姿勢にある。新しいフレームワークを期待して開くと、肩透かしを食らう。
明日から何を変えるか
本書が勧める行動のうち、始めやすいものを3つに絞る。
企画や複雑な問題に向き合うときは、最初の30分はPCを開かず、白い紙と鉛筆でモヤモヤを図にする。
会議のアジェンダには「〇〇の検討」ではなく、終了時にどんな状態になっているべきかを所要時間つきで書く。参加者全員の頭に同じ映像が浮かぶかどうかが判定基準になる。
打ち手を口にする前に、なぜそうなっているのか、それは本当か、具体的にはどこで起きているのかを、紙に書きながら4〜5回繰り返す。2〜3回で納得しかけたら、そこがいつもの停止位置だと思って、あと2回だけ進める。
議論がすぐ「どうやるか」に飛んで、毎回空中分解してしまうチームほど、この一冊の効き目は大きいはずだ。指示された仕事は難なくこなせるのに、自分で問いを立てる場面だけ手が止まる人にも、同じことが言える。
読み終えて残るのは、フレームワークの知識よりも、考えるとは紙を何度も書き直すことだという実感である。10年以上この仕事を続けてきた著者自身、演習の回答例を5〜6回書き直したと明かしている。
一度できれいに整理できないのは能力の不足ではなく、それが普通だからだ。次に問題にぶつかったときは、「どうする?」ではなく「そもそも何を目指していて、どこが震源地なのか」から始めてみたい。
合わせて読みたい
STEP①〜③それぞれをもう一段補強してくれる3冊を挙げておく。
『目的ドリブンの思考法』望月安迪さん 望月安迪さんの一冊は、STEP①の目標定義をまるごと主題にしている。「何のために」を先に固めてから「どう動くか」へ進む順番は、本書のSMARTチェックと同じ発想に立つ。
『ロジカル・シンキング』照屋華子・岡田恵子 本書は「MECE感があればOK」と割り切って前へ進む。厳密なMECEを土台から積み上げる技術は、こちらの一冊に譲られている。稟議書のように、あとから突き崩されては困る資料をつくる場面で効いてくる。
『問題発見力を鍛える』細谷功さん 細谷功さんの一冊は、解決の前に発見を置くという一点で、本書とほぼ同じ山を見ている。震源地を探るという行為を、コンサルの現場語ではなくもう少し抽象度の高い言葉で捉え直したい人に向く。
