新年に立てた目標を、いつの間にか忘れている。
そんな経験を、「意志が弱いから」で片づけていないだろうか。
谷口貴彦さんの『ザ・コーチ』が突きつけるのは、もっと手前の話だ。多くの人は、目標という言葉の意味を、そもそも教わっていない。
「目標を持て」とは言われて育つのに、「目標とは何か」を定義してもらった記憶を持つ人は少ない。この空白を埋めることが、本書の仕事になる。

こんな人におすすめ
- 年始に立てた目標を、気づけば忘れている人
- 会社から降りてくる数字を「他人の課題」としか感じられない人
- 部下との目標面談が、進捗確認の場で終わってしまっている管理職
3つ目の対象が入っているのが、この本の面白いところだ。個人の目標術としてだけでなく、目標を「渡す側」の作法にまで踏み込む。
物語という器に、コーチングの技術を詰める
本書は小説仕立てで進む。
主人公は星野雅彦、36歳。住宅販売会社で5年目を迎えたが、成績は伸び悩んでいる。公園でさぼっていたところ、隣のベンチの老人からスープの入ったカップが転がり落ちる。それを拾ったことが縁になり、毎週火曜の午後、公園での個人授業が始まる。
老人の名は大蔵秀雄。一代で建設会社を築いた創業者だ。
著者の谷口貴彦さんは、菓子職人や添乗員、住宅営業の管理職などを渡り歩いたのち、2003年にプロコーチとして独立した経歴を持つ。累計3,000時間を超えるセッションを積んできたという。
この経歴のおかげで、本書は目標の設計を家づくりの工程に置き換える。図面を引き、完成予想を描き、工程表に落とす。抽象論が、手を動かせる作業に変わっていく。
全8章は、星野が一段ずつ物語の階段を上る構成だ。不都合な出来事が大蔵さんとの出会いを呼び込み、言葉の定義を整え、達成できなくても手元に残るものを知り、心のブレーキを外し、学んだことを新人指導で試す。
終盤で設計の技術そのものを習い、自分仕様に調整して、最後に星野は安定した会社員の立場を手放す。理屈を先に納得させてから手順に落とす順番なので、読みながら迷子になりにくい。
ただし、留保もいる。大蔵さんは、毎週スープを携えて根気よく伴走してくれる、できすぎたメンターだ。現実の職場に、こんな上司はまず現れない。自分の思考の癖を一人で客観視し、書き換える作業は、本書が想定するほど簡単ではないはずだ。
もうひとつ加えるなら、刊行は2009年、終身雇用の前提が崩れていく時期にあたる。会社に沿っていれば安泰という空気が薄れたころの本だから、個人が自分の目的を持つ必要性を強調する語り口には、時代の匂いが残る。
とはいえ、目標を状態で書くという技術そのものは、雇用環境がどう変わっても使い道が減らない。
「目標」「目的」「夢」は、違う言葉だ
大蔵さんが最初に星野へ出す宿題は、周囲の5人に、目標、目的、夢、ゴール、ビジョンの意味を尋ねてくることだった。
答えは案の定、人によってばらばらだった。
本書はこの5語を、次のように仕分ける。
夢:将来こうありたいと願う姿。他人と比べる必要はない。
目的:それを行う根本の理由。全体の頂点に置かれる。
ゴール:目的を果たすために期日を切った到達点。
目標:ゴールへ向かう途中の通過点であり、ゴールそのものではない。
ビジョン:ゴールを手にした瞬間に浮かぶ光景と感情。
この5つを幹でつないだ図が、本書の言うドリームツリーだ。感情を動かす目的、夢、ビジョンと、論理を担うゴールと目標を1本の木にまとめ、頭の両側を同時に働かせる仕掛けになっている。
言葉の粒度がそろっていないまま目標を語るから、頭の中の計画も同じくらい粒度がそろわない。大蔵さんはそう星野に告げる。
言葉が仕分けられたら、次は分解の作業に移る。目的を頂点に、ゴール群を中位に、知識、能力、ツールという3つの軸で要素を積み上げたピラミッドを、本書はゴールツリーと呼ぶ。
そのうえで、要素ごとに期日と到達基準を書き込む設計図、ゴールを手にした瞬間の光景と感情を五感で思い描く完成予想図、いつ何を身につけるかを時間軸に落とす施工図という、3枚の図面を描かせる。
頭の中の願望を、手で描ける平面に変換する作業だ。この変換の手続きがなければ、ドリームツリーは眺めるだけの絵で終わっただろう。
「行動」を書いた目標は、まだ目標ではない
ここが、本書でいちばん実務に効く部分だ。
星野は宅地建物取引士の資格を狙い、「毎日30分、過去問を解く」という目標を立てる。大蔵さんはこれを一蹴する。それは目標ではなく、ただの行動計画だ、と。
行動そのものを目標に据えると、脳は「やったか、やらなかったか」という二択でしか自分を評価できなくなる。サボった日は、そのまま自己否定に直結する。
代わりに求められるのは、期日にどんな状態へ到達しているかを、主語を「私」にして書くことだ。
「私は、最後まであきらめないでモチベーションを高く持つために、五月十日に、同じ宅建合格を目指すライバル二人を持っている」
星野が書き直した目標文は、こうなった。行動ではなく状態を指しているから、そこへ至る手段は一つに固定されない。勉強会に参加してもいいし、社内で声をかけてもいい。
同じ目標を追っていても、行動で書くか状態で書くかで、文は自分を追い詰める道具にも、工夫を引き出す道具にもなる。問いの形が変わるからだ。「今日はやったか」ではなく、「もっと効果的に進めるにはどうするか」という、開かれた問いが浮かぶようになる。
本書はさらに、実行のペースにも個人差があるとみる。始動は早いが飽きやすい人にはサイクルを極端に短く区切らせ、期限の直前でしか本気が出ない人にはあえて物足りない量から始めて後半に解放させ、力を出し切れずに終わりがちな人には目標をあらかじめ多めに盛らせる。
同じ設計図でも、実行の型に合わせて刻み方を変える発想だ。
ここには弱点もある。「ライバルを持っている状態」のように、到達を自己申告でしか確認できない目標も出てくる。行動計画のほうが本当は検証しやすいという事実を、本書はあまり直視していない。状態で書く技術は、検証可能性とのトレードオフの上に立っている。
ブレーキを外すのは、気合いではない
目標の書き方が変わっても、動けない人はいる。本書はこの停止を「心のブレーキ」と呼ぶ。
原因は4つ。比較され批判された記憶、結果だけで人格ごと否定された経験、変化そのものへの恐れ、選ぶことや決めることへの恐れ。
繰り返し否定を受けた人は、学習性無力感という状態に落ちる。透明な瓶に閉じ込められたノミの比喩が引かれる。最初は全力で跳ぶが、ふたに何度もぶつかるうち跳ぶのをやめる。瓶を取り去っても、もう高くは跳ばない。
外し方として本書が挙げるのは3つ。目標を極端に小さくすること。「一度決めたら変えてはいけない」という思い込みを外すこと。昼食を1分で決めるような、日常の小さな決断で選ぶことに体を慣らすこと。
理屈で説き伏せる方法ではなく、恐怖の対象を物理的に小さくする方法ばかりが並ぶ。精神論を避けたい人には、この実務的な割り切りが相性いいはずだ。
とはいえ、目標にたどり着けなくても、道中で手元に残るものはある。星野の妻は高校時代、地区大会の上位進出を目標にバスケットボールへ打ち込んだが、大会では早々に姿を消した。
それでも彼女の手元には、当時鍛えた精神力と、今も付き合いの続く友人が残った。本書はこれをベネフィット(恩恵)と呼び、明確な目的を掲げると共感した人が自然に集まってくる現象や、高いゴールを追う過程で育つ心の強さも、その一種に数える。
結果は外部の要因に左右されるが、そこへ向かう過程で何が身についたかは、自分の側に残り続ける。
結果の責任は、目標を与えた側にある
物語の後半、星野は新人の指導を任される。ここで本書は、目標を渡す側の話に転じる。
星野は、新人が本来抱いていた夢と、いま担当している営業の仕事とを、対話のなかで結びつける。会社の目標と個人の目的が重なる場所を、本書は「接点」と呼ぶ。この接点が見えて初めて、無機質な数字に本人の動機が宿る。
そして大蔵さんは、踏み込んだことを言う。
「ゴールに対する結果の責任は、与えた方にあるということです」
部下は結果を100%コントロールできない。だから結果の責任は目標を与えた側が引き受け、部下は自分が決めた行動と、そこで得た成長にだけ責任を持てばいい。
大蔵さん自身、かつては部下に数字を怒鳴りつけていた過去があるといい、この線引きは机上の理想論ではなく、自分の失敗から出てきたものだと分かる。
目標を渡すという行為は、そこへ至る道のりを通じて相手を育てるという行為でもある。この視点の転換は、部下との面談を「詰める場」だと思い込んでいる管理職にこそ効くだろう。
3年後、星野は資格に合格し、社内トップの認定トレーナーになる。5年後には自らプロコーチとして独立し、本を書くところまでたどり着く。
その後、星野は大蔵さんの妻を訪ね、大蔵さんが少し前に他界していたことを知らされる。手渡されたのは、大蔵さんが使い込んだスケッチブックだった。大蔵さんから星野へ、星野から次の誰かへ。この本自体、その受け渡しの一区間として書かれているように読める。
物語としての着地はできすぎているが、本書が渡したい技術は、状態で目標を書くことと、結果と行動の責任を切り分けることの2つに絞れる。この2つだけなら、明日の面談からでも試せる。
