仮病を使って会社を休んだ日、UFOキャッチャーの前で何時間も粘っていた人がいます。
狙いは、子どもの頃に欲しかったドラえもんのぬいぐるみでした。100円玉を入れ続け、取れたのは36回目。翌日、拍子抜けするくらい普通に出社できました。自分が休んだ1日で、職場は何ひとつ変わっていなかった。机も椅子も、いつもの場所にそのまま残っていました。
寂しさより先に、安心がやってきた。
『がんばらないことをがんばるって決めた。』は、この体験をつづった考えるOLさんのエッセイです。新卒で入社してから1年半でうつを発症し、休職しました。仕事に行けなかった自分をそのまま肯定するSNSの投稿が大きな反響を呼んだことでも知られる書き手です。
最初に断っておきたいことがあります。本書はあくまで一人の体験を言葉にしたエッセイで、うつや適応障害の治療法を示す本ではありません。しんどさが「休む」「自分を甘やかす」程度で収まらないなら、エッセイを読むより先に、心療内科や産業医、カウンセラーに相談するほうが近道です。
がんばりたい人のための本ではありません。がんばり方を間違えて、すでにすり減ってしまった人のための本です。理論からではなく、著者自身の失敗談から始まる構成なので、似た状況にいる人ほど、するすると読み進められます。
本書の構成はシンプルです。仕事、夢、日常、人との距離、環境という5つの切り口で、著者が自分を守るために編み出した考え方が並びます。

「代わりがいる」は、見捨てられる話ではない
著者はここで、多くの人が恐れている前提をひっくり返します。「自分の代わりはいくらでもいる」という言葉は、たいてい突き放すように響きます。自分の存在価値がゼロだと言われている気がするからです。
でも本書の受け止め方は逆です。代わりがきくということは、自分が体調を崩して動けなくなったとき、誰かがその穴を埋めてくれるという意味でもあります。
替えのきかない仕事にしがみつくことは、自分を守るどころか、休めない状況へ自分を追い込む行為だったと著者は気づきます。
同じ章で、仕事の意味の測り方も変わります。やりがいや達成感で自分を評価するのをやめて、「目の前の誰かの役に立ち、その対価を受け取っている」という一点だけを見る。それで十分だという考え方です。実績で自分を刺す前に、まずここへ戻ってこられるかどうかが、しんどさの分かれ目になります。
本書はここで、評価の物差しをもうひとつ外します。給料や成績、貯金額といった数字は、環境が変われば一晩で消えることがあります。著者自身、休職によって成績も貯金もまとめて失いました。
それでも最後まで残っていたのは、これまで触れてきた音楽や本、失敗と成功の積み重ねからできあがった、自分なりの物の見方でした。15歳の頃、学校にも家庭にも居場所がなかった著者を支えたのは、公園で観た好きなアーティストのライブだったといいます。
世界そのものは何も変わっていないのに、聴き終えて帰る道の景色が違って見えた。数字は他人の物差しだが、物の見方だけは誰にも奪えない。そう言い切れる根拠を、著者は自分の実体験から積み上げています。
「会社の鎧」を着るという発想
新人時代、著者は取引先から強い口調で叱られ、帰りの電車で涙が止まらなくなったことがあるそうです。転機になったのは、先輩からかけられた一言でした。誰もが役割を演じているだけで、本人そのものが怒られているわけではない、と。
この考え方を、本書はこう言い切ります。
「会社という鎧で、私そのものを守っていれば、どんなに攻撃されても生身の体に傷はつかないのだ。」
社会的な役割を演じることは、ふつう「本音を出せていない」とネガティブに扱われます。本書はここを逆転させ、演じることを、批判が自尊心まで届かないようにする防具として位置づけ直します。
鎧を着たまま怒られても、家に帰って鎧を脱げば、素のままの自分は無傷でいい。そう切り分けられれば、仕事の失敗を人格の失敗と混同せずに済みます。
ただし、この防具には限界もあります。鎧をつけたままの関係だけでは、信頼を積み重ねる場面や、本音でぶつかる必要がある場面では機能しません。鎧は嵐をやり過ごす道具であって、すべての人間関係の作法にはならない、と割り切って読むほうが安全です。
380円の牛丼と157円の食パンが教えてくれること
新入社員研修の最終日、著者は自分へのご褒美に松屋の牛丼をテイクアウトし、ホテルの部屋で一人で食べました。値段は380円。周りの同期が「有能な誰か」を演じようと必死になる中で、学生時代から変わらないこの小さなご褒美を愛おしいと感じた瞬間、特別な何者かになろうとする焦りがゆるんだといいます。
休職中にも、似た小さな願いが芽生えています。5畳ひと間にこもっていた著者は、気晴らしと呼ぶには地味な外出を重ねました。日替わりでサイゼリヤのメニューを試したり、無印良品へカレーだけを買いに出かけたり、フランフランで実用性のない小物を眺めて回ったり。
そこから育ったのは、「サイゼリヤの全メニューを制覇したい」「無印のカレーを味わい尽くしたい」といった、他人にはどうでもいい願いでした。誰の役にも立たず、誰にも評価されない願いですが、明日を生きる理由にはなる。
本書はこれを、見栄えのする目標ではなく本物の夢と呼びます。
視点を変えたのが、休職中に買った157円の食パンのエピソードです。1カ月ぶりに外へ出て、スーパーで157円の食パンを買ったとき、レジ係の高校生の明るい声に救われた。
自分が払った小銭は、めぐりめぐって誰かのアルバイト代の一部になっている。貢献の割合はごくわずかでも、ゼロではない。働いていない自分にも存在価値はあると、著者はここで自分に言い聞かせています。
生産していない時間を無価値と決めつける発想を、消費という別の回路からひっくり返した場面です。ただし、これは休職中の不安を一時的にやわらげる考え方であって、収入が絶たれる不安そのものを解決するわけではありません。長期の休職に入るなら、傷病手当金や当面の生活設計は、エッセイとは別に早めに調べておく必要があります。
「コミュ力」の意味を書き換える
会議で先輩から「もっと自己開示してコミュ力をつけろ」と言われた著者は、25年できなかったことが急にできるとは思えないと感じました。そこで、コミュニケーション能力そのものの定義を書き換えます。
誰とでも仲良くなることでも、自分をさらけ出すことでもなく、伝えられたことを正しく理解し、伝えたいことを正しく伝えられる能力だと言い切るのです。
相手を知りすぎず、自分を知られすぎない距離を保つこと。これも立派なコミュ力だという主張です。知られすぎれば、ちょっとした指摘で人格そのものを否定された気になり、知りすぎれば相手の感情に引きずられて身動きが取れなくなる。距離を取ることは逃げではなく自衛だ、と本書は肯定します。
この線引きは楽になる一方で、副作用もあります。距離を保つ技術に慣れすぎると、本当に信頼できる相手にまで壁を作ったままにしてしまう危険があります。本書が示すのは「自分を守るための距離」であって、「一生誰にも踏み込ませない距離」ではありません。
距離を取る発想は、家族にも及びます。著者は進学を機に実家を離れ、複雑な事情を抱えた家族を「理想の家族」ではなく「自分とは違う一人の人間」として見られるようになるまで、7年近くかかったそうです。
神格化をやめると、期待どおりの家族像に裏切られたと感じる不毛な葛藤からも抜けられる。裏切りそのものについても、本書は視点をずらします。「誰かに裏切られた」ことより、「誰かを本気で信じられた自分がいた」ことのほうを覚えておく。
悲しみの主語を、相手ではなく自分の内側へ引き取り直す発想です。
「置かれた場所で咲きなさい」への異議
エピローグの主題は、あの有名な言葉への反論です。咲けないのは努力不足なのか、それとも土が合っていないだけなのか。著者は自分自身を例に、この問いへ答えます。
感受性が強く考えすぎる性格は、営業の現場では低く評価されました。ところが同じ性質のまま、考えたことをSNSで発信し始めた途端、多くの人から共感の声が届くようになった。
人が変わったのではなく、置かれた土壌が変わっただけです。
「逃げているのでない。自らの意志で、咲ける場所を探すことも立派な努力だ。」
本書は会社を辞めることを勧める本ではありません。組織に残る選択も、環境を変える選択も、自分で選んだのならどちらでもいいという立場です。
ここは一言添えておきたいところです。土を選び直す自由は、誰にでも同じだけあるわけではありません。家族を養う責任やローン、次の仕事のあてなど、環境を変える決断には人によって違う重さの制約がのしかかります。
この章の処方箋を自分の状況にそのまま当てはめる前に、まず何が動かせて何が動かせないかを分けて考える必要があります。
今日から試せること
本書から、今日から試せることを3つだけ選びます。
1. 朝のだるさに、好きな飲み物を1つ割り当てる 気持ちを切り替えようと意気込むのではなく、甘いカフェラテでも何でもいいので、先に「お供」を決めておきます。
2. 嫌なことを言われても、へらへら笑わずに真顔で返す セクハラや心ない言葉を愛想笑いで受け流すのをやめます。反論しなくていい。笑うのをやめるだけで、ここから先には踏み込ませない、という線が相手に伝わります。
3. 自分の得意なことを1つだけ書き出しておく 誰かに助けを求めるとき、自分にも返せるものがあると分かっているだけで、頼る側の負い目が軽くなります。
帰り道に、380円でも157円でも、自分のための小さなご褒美を1つ買ってみる。本書が最後に残す提案は、そのくらい小さなことです。
