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『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』根本裕幸|自分を責める量は、愛した量に比例する

健康・メンタル 根本裕幸
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『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』
目次

倒産寸前の会社を営んでいた夫婦が、夜、リビングで暗い顔をして資金繰りの相談をしていました。

そこへ、寝ていたはずの5歳の娘が起きてきます。娘は泣きながら謝りました。パパとママの元気がないのは、幼稚園でいい子にできていない自分のせいだと。

父親は頭をハンマーで殴られたようなショックを受けたと振り返っています。夫婦は、5歳の子どもに「大好きな人の不幸を、まるごと自分の責任だと思い込む」という重荷を背負わせていた。彼はそこから経営を立て直したそうです。

著者は、心理カウンセラーの根本裕幸さんです。20年近く相談を受けてきた蓄積をまとめたのが『いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本』で、冒頭の娘が抱え込んでしまったものの正体を解き明かしています。

読んでいて刺さるのは、誰かの機嫌が曇っただけで反射的に自分の落ち度を探してしまう人、尽くしているのに関係がぎくしゃくする人、物事が良い方向に転がり始めると自分から水を差してしまう人です。心当たりのある読者ほど、この先の内容が自分事として迫ってくるはずです。

図解

自分を責める量は、愛した量に比例する

本書がいう罪悪感は、失敗の後悔だけを指しません。意識の奥に居座った「自分は罰せられて当然だ」という思い込みそのものを指します。

だから本人には自覚がないことが多い、と本書は言います。手を挙げて助けを求めるのが苦手、素晴らしい能力があるのに過酷な職場に居続けてしまう、がんばっているのに報われない感覚が消えない。

こうした一見ばらばらの傾向を、本書は同じ根から生える枝として並べます。単なる気質や運の悪さとして片づけていた読者ほど、ここで足を止めるはずです。

そのうえで本書は、罪悪感の裏側に必ず同じ分量の愛があると言い切ります。

「愛が強ければ強いほど、罪悪感も強くなるもの。罪悪感ではなく、その奥にある愛にフォーカスすることで、自分をゆるし、しあわせになることを許可できるようになります。」

冒頭の娘が自分を責めたのも、両親の笑顔をそれだけ大切にしていたからです。罪悪感の強さは、その人がどれだけ深く誰かを愛そうとしたかの裏返しにすぎません。

罪悪感は7つのタイプに分かれると本書は整理します。誰かを傷つけた自覚がある「加害者の心理」、助けようとして力が及ばなかった「無力感」、何もできず見捨ててしまった記憶、自分だけ恵まれていることへの後ろめたさ、そして親や家系から受け継いでしまう罪悪感まで幅は広い。

中でも本書がもっとも重く扱うのは無力感型と、何もしなかった型です。表向きは誰にも責められないぶん、周囲が味方してくれる機会もなく、一人で長く抱え込みやすいからだといいます。

手を出して失敗するより、何もしなかったことのほうが長く尾を引く、という指摘は納得感がありました。

この整理を裏づけているのが、本書の作りそのものです。統計や実在の企業名で語る本ではありません。ギャンブル依存、不倫、虐待的な連鎖といった重いテーマを、匿名の相談事例として大量に積み上げる作りになっています。抽象論で終わらない分、自分の状況をどこかに重ねやすくなっています。

配りすぎたスープが、まわりに罪悪感を残す

本書でもっとも印象に残る例えが、ホームパーティーのスープです。

自分で作ったスープをふるまい、みんなが喜んでおかわりする。うれしくなって注ぎ続けるうち、自分の分は空になっている。お腹が鳴っても「大丈夫、私はいいの」と笑って答える。

その瞬間、場の空気が沈みます。まわりは「この人の分も残さず飲み干してしまった」という後ろめたさを受け取るからです。

本書はここから、善意のつもりの自己犠牲が、まわりに罪悪感を配る行為に変わりうると指摘します。差し出す側が満たされていないと、受け取る側は素直に喜べない。だからすすめられているのは、まず自分の分をきちんと注いで飲むことです。

実例が2つ紹介されています。1つ目は、娘に寂しい思いをさせまいと毎日の家事を完璧にこなし、余裕を失って娘に強く当たっていた母親です。彼女は家事の手を抜くことを自分に許可しました。すると娘と笑って過ごす時間が増え、母親の顔色をうかがっていた娘の表情もゆるんだそうです。

2つ目は、深夜残業と休日出勤を重ね、ワンオペ育児に限界を迎えた妻から責められていた男性です。彼のハードワークの正体は、家族を守りたいという不器用な愛でした。

彼は有給を取って子どもを見る側にまわり、妻に自由な1日をプレゼントします。子どもと過ごす時間の中に幸せを見出し、家族との時間を確保するための転職活動まで始めたそうです。

自分を犠牲にして家族を守っているつもりの人ほど、まず自分のスープを飲む必要がある。この2つの例はそれを裏づけています。

完璧な「いい子」ほど、裏の世界を抱えている

本書独自の言葉にアンダーグラウンドがあります。表では期待に応え続ける優等生を演じ、その裏で処理しきれないストレスを解放する、もう一つの世界を指す言葉です。

本書に登場する相談者は、この裏表がはっきりしています。職場では誠実で気難しい上司にも可愛がられる会社員が、給料日に全額をパチンコへ注ぎ込む。婦人会の集まりで模範的に振る舞う人が、家庭の外に別の関係を持ってしまう。将来を嘱望されていた若手社員が、酒量を制御できなくなって体を壊す。

3人に共通するのは、意志の弱さではありません。表の世界でがんばりすぎた反動です。だから本書が提案する対処は、その行動を力ずくで禁じることではなく、まず「完璧ないい子」であろうとする力を緩めることだといいます。

裏の世界は孤立も招く、という指摘も見逃せません。ギャンブルの額が膨らんだ相談者は、友人に顔向けできないと連絡を断ち、結婚を約束していた恋人にも「自分では幸せにできない」と別れを告げていました。罪悪感は、しあわせそのものを自分から遠ざける方向に働くのです。

謝らない人ほど、実は罪悪感を抱えている

人間関係の見え方が変わる指摘も多い本です。まず、絶対に謝らない人について。

逆ギレや責任転嫁は、罪悪感がないから起きるのではありません。強すぎるから起きる、と本書は説きます。非を認めた瞬間に自分を責める力で押しつぶされてしまうため、必死に「自分は正しい」という立場にしがみつくのだと言います。意固地な相手への苛立ちが、この説明で少し違って見えてきます。

心理学の世界では、被害者の立場から相手を責め立てた瞬間、その人自身も加害者の側にスライドすると考えるそうです。攻撃も被害者意識も手放したこの立ち位置を、本書は無害者と呼びます。

被害者でいることには隠れた利点もある、という記述も率直です。他人軸に立てば相手を責め、コントロールしようとする分だけ苦しい。でもその一方で、自分から動かなくて済む楽さもある。本書はそこを美化せずに書いています。

自分を裁く道具はもう一つあります。「働かざる者食うべからず」のような、誰もが数千から数万個持っているという自分ルール、観念です。これに反した行動をとった瞬間、心は自分を犯罪者のように扱い始めます。

「自分のせいだ」と「自分に原因がある」は別の作業

本書の後半は、責める姿勢から抜け出す実践に移ります。軸になるのが、他人軸から自分軸への切り替えです。

他人軸は、感情の基準がいつも他人にある状態です。「相手が悪いから傷ついた」という発想に立つと、相手の言動を四六時中監視することに労力を奪われます。自分軸は、そこに「自分にも原因がなかったか」という問いを差し込む発想です。本書はこの2つを、こう書き分けています。

「『自分のせいだ』と自分を責めることと、『自分に原因がある』と『自分軸』でとらえることは、全然違います。」

前者は自分を裁く作業で、後者は自分の手に主導権を取り戻す作業です。同じ出来事から出発しても、行き着く先はまるで違います。パートナーの浮気であれば、他人軸は「悪いのは浮気した相手で100%」と決めつけ、その後の言動を四六時中見張る消耗戦に入ります。自分軸は、起きた問題を五分五分の対等な関係として眺め、自分のコミュニケーションに見落としはなかったかを静かに検討する。責める作業から、学ぶ作業への切り替えです。

本書はこの切り替えを妨げる要因として癒着を挙げます。相手との境界があいまいになり、感情が相手に支配される関係のことです。物理的に離れて暮らす親から連絡が来ただけで心がざわつくのも、その一例だといいます。

頭では距離を置いたつもりでも、心の中には昔のまま相手にくっついた自分が残っている。そのすれ違いが混乱を生むのだそうです。

境界線を引き直した相談者の例もあります。仕事に埋もれる夫を持ち、長くセックスレスに悩んでいた女性は、夫の実家の家族関係を彼が再現していたことに気づきました。

相手に譲るのをやめて自分の好きなことを優先すると、夫のほうが自発的に早く帰宅し、旅行を提案してくるようになったそうです。手放すと関係が動く、という逆説がここにも表れています。

罪悪感は、消すより付き合う技術を持つ

本書の終盤では、行動を善悪で裁くのをやめ、その背景にある感情を理解する感情的理解という視点が示されます。象徴的なのが、問題児クラスの担任や未経験のサッカー部顧問、夜の塾回りまで自分から抱え込んでいた教師の話です。

父親から「なぜ100点が取れない」と否定され続けた過去に気づいたとき、彼は国公立大学に合格した日、父が黙って好物を用意してくれていたことを思い出します。

不器用な形で置かれていた愛を、そこで初めて受け取れたそうです。

タイトルには「消えてなくなる」とありますが、本書が最終的にすすめているのは根絶ではありません。ルールという制限があるからこそ競技が面白くなるように、罪悪感とも上手に付き合っていくほうが、しあわせに近づけるという立場です。

そのための手立てとして、自分を責める言葉を止める習慣、寝る前に感情を込めず淡々と唱える「無罪宣言」、宛先を決めて毎日1通書く感謝の手紙が紹介されています。中でも無罪宣言は、感情を込めるとかえって反発を招くため、お経のように棒読みで唱えるのがコツだと本書は説明します。

一つ、留保を添えておきます。本書は「起きていることは自分が引き寄せている」という枠組みで語られる場面が多く、自分の内面を見つめ直す用途には強力です。

ただし暴力や虐待、構造的に立場の弱い労働環境のように、客観的に被害者の立場に置かれている状況にまで同じ枠組みを当てはめると、誤った自己責任を背負い込みかねません。

そうした状況からまず物理的、法的に離れる必要がある人や、つらさが長く続いている人は、本書の内側からのアプローチだけに頼らず、専門の相談機関を頼ってください。

自分を罵る声が出た瞬間に、それを一度止めて「それが今の私だから、しょうがない」と言い換える。本書が最後にすすめるのは、そのくらい小さな一歩です。愛した分だけ背負ってきた荷物を、今日から少しずつ下ろしていけます。


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