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『起業の天才!』大西康之さん|ベゾスの最初の上司は、日本人だった

戦略・経営・事業

ジェフ・ベゾスが社会人として最初に仕えた会社のオーナーは、日本人でした。

1987年、リクルートがロンドンのオンライン決済ベンチャー「フィテル」を約10億円で買収します。プリンストン大学を出たばかりのベゾスは、その会社で開発とカスタマー・サービスの責任者でした。

のちに世界一の資産家になる男の、キャリアの出発点。それを用意した日本人の名は、江副浩正といいます。

翌1988年、その名前はまったく別の文脈で日本中に刻まれます。「戦後最大の企業犯罪」と呼ばれたリクルート事件の、主犯として。

大西康之さんの『起業の天才!』は、歴史から抹殺されたこの起業家を、インターネット以前に「紙のグーグル」を創り上げた天才として読み直す評伝です。

こんな人におすすめ

本書が特に効くのは、こんな人です。

成功物語でも、事件の暴露本でもありません。ビジネスモデルの発明から組織の設計、天才を潰した日本社会の構造まで踏み込む、骨太のノンフィクションです。

「犯罪者」を「天才」として読み直す

著者がまず崩しにかかるのは、「江副=悪徳経営者」という先入観です。

手がかりは、GoogleやAmazonとの共通点でした。リクルートの情報誌は、仕事を探す人や家を買いたい人だけに情報を届ける仕組み。これは検索連動型広告と同じ発想です。媒体が紙だっただけで、中身は最先端のテクノロジー産業だったわけです。

そのうえで本書は、3つの問いを立てます。江副は何を発明したのか。なぜ転落したのか。彼を全否定した日本はどうなったのか。

公平のために書いておくと、本書には限界もあります。未公開株の譲渡を「資本主義のゲーム」としていくらか同情的に描いていて、当時の社会が感じた不公正さへの検証はやや弱め。そこは差し引いて読む必要があります。

全体像――創成、狂乱、転落、遺産

物語は3部構成です。

第1部は創成期。1960年、東京大学の学生新聞で広告取りのアルバイトをしていた江副が、資本金60万円で「大学新聞広告社」を立ち上げます。拠点は雑居ビルの屋上の物置小屋でした。

第2部は成長と狂乱。『住宅情報』などの創刊で情報の独占を次々と崩す一方、巨額の借入で不動産投資にのめり込み、政官財に未公開株をばらまく「倫理観の欠如」が顔を出します。

第3部は転落と遺産。朝日新聞のスクープに始まるリクルート事件と、残された社員たちによる奇跡の復活が描かれます。

紙のグーグル――「広告だけの本」という発明

1960年代、学生の就職は親や教授のコネが主流でした。

江副はここに目をつけます。コネがなくても会社を選びたい学生と、知名度がなくても人材が欲しい企業。両者の間にある情報格差(情報の非対称性)を埋めれば、ビジネスになる。

1962年、求人広告だけを集めた本『企業への招待』を創刊し、学生に無料で配りました。広告料は1社一律30万円。当時の新聞の5センチ角の求人広告が2000円の時代に、です。

創刊号の掲載は69社、うち有料広告は29社で、売上は1165万円。それが1965年には327社まで伸びます。

当時の常識では、広告は読み手にとって邪魔な「ノイズ」でした。でも仕事を探す人にとって、求人情報はお金を払ってでも欲しい価値そのもの。この逆転の発見が、リクルートのすべての事業の土台になります。

競争への執念も凄まじいものでした。ダイヤモンド社が『就職ガイド』を出すと知ると、社内に「打倒D社」の垂れ幕を掲げて猛攻。1987年には就職ガイドブック市場でシェア77%と、2位の6%を圧倒します。

「二位になることはわれわれにとっての死」

読売新聞が『読売住宅案内』で攻めてきたときは、精鋭を住宅情報事業部に集める「Yシフト」で反撃し、廃刊に追い込みました。学生ベンチャー上がりの会社が、大新聞という既得権益を破った瞬間です。

「君はどうしたいの?」――命令しない経営

意外なことに、江副本人にカリスマ性はありませんでした。

経営の支えはファクトとロジック。そしてもう一つが心理学です。日立製作所から引き抜いた大沢武志が適性テスト(SPI)を開発し、社員のやる気を科学する「心理学的経営」を実践しました。

象徴が、この問いかけです。

「君はどうしたいの?」

不満や課題を持ち込んだ社員に、解決策を与えない。本人に答えを出させ、「じゃあ君がやってよ」と任せる。評論家が当事者に変わる瞬間です。

人材の集め方も常識外れでした。大学進学率が1割そこそこの時代から、高卒や女性、在日コリアンに大卒男性と同じ土俵で機会を与えます。「地方、貧乏、野望」を持つハングリーな若者が、爆発的なエネルギーを生みました。

著者はこの組織運営を、現代の「ティール組織」を50年前から実践していたと評します。上が決めて下が従う、当時の日本型経営の対極です。

会社を1600個に割る――社員皆経営者主義

仕組みの核心が、PC(プロフィットセンター)制度です。

会社を独立採算の小集団に分割し、それぞれに収益責任と人事権を持たせる。その数、最終的に1600単位。社員全員を「経営者」にする設計です。

もう一つが、GIBやRINGと呼ばれる表彰の舞台でした。成績優秀者を華やかな場で称え、その場で成功の「秘策」を語らせる。個人の暗黙知が、組織全体の共有知に変わります。

人への投資も桁違いです。採用コストは学生1人当たり600万円、総額60億円。大卒初任給が3万7500円の時代に、社員旅行はハワイで全社6000万円。人がすべての情報産業だ、という割り切りでした。

1985年の予言――「紙の情報誌はなくなるかもしれない」

本書の白眉は、江副の先見性です。

1960年代後半、まだパソコンすらない時代に、資本金に匹敵する投資でIBMのコンピューターを導入します。1968年には、情報をコンピューターに蓄積して企業や大学に提供するサービスを構想していました。

そして1985年。最大の収益源だった紙の情報誌について、江副はこう予言します。

「もしかすると、紙の情報誌はなくなるかもしれない」

通信自由化を機に、NTT回線のリセール事業やスーパーコンピューターの時間貸し(RCS)を開始。今のクラウド・コンピューティングの先駆けです。日米欧をデータセンターで結ぶ「テレポート」構想まで描いていました。

日本経済新聞社の森田康社長とは「マップデータ」という会社を共同設立。Googleマップが始まる20年前に、コンピューター・マッピングを構想していた話には鳥肌が立ちます。

全社員への号令は「ALL HANDS ON DECK!(総員配置につけ)」。紙の会社から情報通信の会社へ。その渦中で江副は、NTT初代社長の真藤恒に急接近します。これがのちに、命取りになりました。

転落――顕教と密教、そしてリクルート事件

江副の経営には二面性がありました。

表の顔(顕教)は「情報化社会の理想」。裏の顔(密教)は、株の空売りなどで稼ぐ金融技術です。バブルが膨らむと裏の顔が肥大化し、日軽金の本社ビルを250億円で買うなど、不動産と財テクにのめり込みます。

決定打が未公開株でした。子会社リクルートコスモスの株を、中曽根康弘や安倍晋太郎ら政官財の有力者にばらまきます。譲渡価格3000円、上場初値5270円。確実に儲かる賄賂だと見なされました。

ただ、本書はここで立ち止まります。当時の証券業界では、上場前に信用ある人物に株を持ってもらうのは当たり前の商慣習でした。警察も検察も一度は「事件化は難しい」と捜査を打ち切っています。

流れを変えたのは、朝日新聞横浜支局の記者たちでした。川崎市助役への譲渡を独自取材で掘り起こし、スクープが世論に火をつけます。

検察は「成り上がりのベンチャーが巨人にすり寄った」という構図を描いて立件。江副は過酷な取り調べで「偽りの自白」を強いられたと、のちに語っています。

それでも著者は、江副を免罪しません。「法に触れなければ何をしてもいい」という極端な合理主義。情報を独占するプラットフォーマーになったのに、その力に伴う社会的責任への自覚がない。

祖父の教えは「名前が新聞に載るような人間になれ。少々悪いことでも構わん」でした。その言葉のとおりに生き、一線を見失った男として描かれます。

「服を着たゾウ」に、大人はいなかった

では、誰が彼を止められたのか。本書の答えはシンプルです。日本には、止める役がいなかった。

エンジェル投資家の瀧本哲史氏は、江副を星新一のショートショートに登場する「服を着たゾウ」に例えました。経営がわからないという欠乏感を抱え、ドラッカーを懸命に学び、純粋に実行し続けた巨象です。

米国なら、暴れ馬の起業家を競走馬に育てる「グレーヘア」と呼ばれる成熟した大人が、取締役として経営に入ります。社会のルールを教え、時に非情な決断を迫る存在です。

日本にはこの調教者がいませんでした。だから天才は、ダークサイドに堕ちるまで走り続けた。個人の堕落ではなく、社会の構造的欠陥として描かれるのがこの本の独自性です。

そして本書は、より大きな問いに行き着きます。江副の才能を負の側面ごと全否定した社会は、その後どうなったか。

2020年夏、GAFAM5社の時価総額は600兆円を突破し、東証一部上場企業2170社の合計を上回りました。「失われた30年」の出発点にあの事件があった、というのが著者の見立てです。

奇跡の復活――1兆8000億円を返し切った会社

それでも、リクルートは死にませんでした。

危機を支えたのはダイエーの中内功です。江副の持ち株を総額455億円で買い取り、会長に就任。若い社員たちにこう発破をかけました。

「ええか、おまえら。もっといかがわしくなれ!」

経営の内側では、河野栄子を中心に「家計簿経営」と呼ばれる徹底したコスト削減を断行します。営業利益率30%という情報誌事業の収益力を支えに、1兆8000億円の借金を自力で完済しました。

1995年には精鋭を集めた電子メディア事業部が発足し、主力メディアを次々とネットへ移行します。現在の『リクナビ』や『SUUMO』の原型です。

さらにIndeedの買収でグローバル化し、2019年3月期の連結売上高は2兆3000億円。時価総額は7兆円を超え、国内10位の企業に返り咲きました。

社外に目を向ければ、iモードを牽引した松永真理さんや夏野剛さんをはじめ、「元リク」と呼ばれる人材が日本のネット産業を支えています。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

創業者が消えても、この社訓は遺伝子として残ったのです。

明日からの4つのアクション

本書から実務に持ち帰れるのは、この4つです。

1. 「で、君はどうしたいの?」と問いかける 部下や後輩が不満や課題を持ってきたら、解決策を教える前にこう問う。出てきた答えは「じゃあ、それを君がやってみて」と本人に任せます。

2. 業界の「情報の非対称性」を探す 売り手は知っているのに買い手は知らない情報を、自分の業界で1つ書き出す。それをオープンにするサービスを企画できないか検討します。

3. 成功した人に「秘訣」を語らせる場を作る 成果を上げた人を表彰やミーティングで称賛し、その場で上手くいったやり方を話してもらう。個人のノウハウを組織の共有知に変えます。

4. 自ら機会を創り出し、機会によって自らを変える 与えられた仕事の外で、新しいプロジェクトや役割に自分から手を挙げる。未知の領域に飛び込むプレッシャーを、成長のエネルギーに変換します。

おわりに

読み終えて残るのは、単純な英雄譚でも転落劇でもありません。

天才は、それだけでは社会の中で生き残れない。導く大人と、異端を受け入れる土壌があって初めて、才能は実装される。江副の物語は、その両方を欠いた国の物語でもありました。

もしあなたの会社に、この国に、次の「服を着たゾウ」が現れたら。潰すのか、育てるのか。

その問いを考えるための材料として、これほど濃い一冊はなかなかありません。


合わせて読みたい

『ベゾス・レター』スティーブ・アンダーソン 本書の冒頭に登場する若き日のベゾスが、その後アマゾンをどう育てたかを株主への手紙から読み解く一冊です。江副が紙で実現した「実験と発明の経営」が、海の向こうでどう開花したかを並べて確かめられます。

『ピーター・ティール』トーマス・ラッポルト 本書で江副の偉業は「ゼロ・トゥ・ワン」の具現化として語られます。その思想の持ち主であるティールの戦略を知ると、江副の天才性がグローバル基準でどれほどのものだったかが立体的に見えてきます。

『渋谷ではたらく社長の告白』藤田晋 若くして起業し、批判と挫折を浴びながら会社を立て直した当事者の記録です。江副を外側から描いた本書と、起業家の内側から書かれた告白を読み比べると、日本で起業することの重さがより実感を持って迫ってきます。


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