メール一本に、なぜか30分かかる。書いては消し、また書いては消す。送信ボタンを押す頃にはもうぐったりしている。
私はずっとそうでした。文章が苦手なのは才能やセンスがないからだと思っていた。生まれつき言葉を操れる人がいて、自分はそうではない側の人間なのだ、と。
でも、それが思い込みだったと教えてくれたのが本書です。著者の唐木元さんは、音楽やコミックのニュースサイト「ナタリー」の初代編集長。膨大な本数の記事を毎日配信するこのメディアでは、もともとライター未経験の素人が、入社して短期間でスラスラと記事を書けるようになっていきます。
その秘密は、本人の才能でも文才でもなく、「書く前の準備」という再現可能な手順でした。本書はその手順を、誰でもなぞれる技術として徹底的に言語化した一冊です。
こんな人におすすめ
- メールや報告書を書くのに毎回時間がかかり、書いては消すを繰り返してしまう人
- 書き始めてから「あれ、何が言いたいんだっけ」と途中で迷子になる人
- 自分の文章が「なんとなく素人っぽい」のは分かるけれど、どこを直せばいいか分からない人
文章のうまさは、頭の良さやセンスの問題だと思っている人にこそ届く本です。逆に言えば、小説やエッセイのように表現そのものの揺らぎを磨きたい人には、本書の方向性はやや実務的すぎるかもしれません。本書が扱うのは、あくまで「情報を正確に、最後まで届ける」ための実用文の技術だからです。
「良い文章」の定義が、最初に効く
本書がまず提示するのは、「良い文章とは何か」という問いへの答えです。分かりやすさでも、テンポの良さでも、気の利いた表現でもない。著者はそれを、たった一つの状態で言い切ります。
完読される文章が良い文章
最後まで読んでもらえること。これを唯一の指標に置く――この定義が、私にはじわじわ効きました。なぜなら、評価軸が一つに定まると、推敲のときに「これは完読の邪魔になるか、ならないか」という一本のものさしで、文章のあらゆる箇所を裁けるようになるからです。
言い回しに迷う時間が、ぐっと減る。どんなに中身が立派でも、途中で読むのをやめられたら情報は断片的にしか伝わらない。読み手にこらえ性がないネット時代だからこそ、「最後まで連れていく」ことがすべての前提になる、という割り切りです。
そのうえで本書は、文章を「事実・ロジック・言葉づかい」という三つの層で捉え直します。一番下に、日時や名前や場所といった客観的な「事実」。その上に、こうだからこうなった、という筋道の「ロジック」。
一番上に、表現としての「言葉づかい」。文章はこの順に積み上がっている、という見立てです。
私たちがつい頭を抱えてしまう表面の言い回しは、実はこの積み木の一番上の、薄い層にすぎない。土台の事実と筋道さえ固めれば、文章はそれだけで合格点に届くのだと著者は言います。
むしろ難しいのはその先で、言葉づかいを磨いて高得点を狙う作業は、土台を固めるよりはるかに労力がかかる。つまり、私たちが「文章力」と呼んでいるものの正体は、ほとんどが準備の力だったということです。
具体的にどの層で何点まで取れるのか、その配分の数字は本書で確かめてほしいのですが、ここを読むだけで「直す順番」が根本から変わります。表現を盗む前に、まず事実とロジックを疑う。
これは文章だけでなく、企画書やプレゼンにもそのまま転用できる発想だと感じました。
核心は「書き始める前」にある――構造シート
本書の心臓部は、ここにあります。
書き始める前に、主眼と骨子を立てることだ
いきなり書き始めてはいけない。これが本書を貫く鉄則です。
著者はこの作業を、プラモデルの組み立てになぞらえます。プラモデルには、箱絵(完成イメージ)とパーツと取扱説明書がそろっている。だから誰が組んでも同じものができる。文章も同じで、書く前に部品と順番をそろえて設計図を用意してしまう。著者はこれを「プラモ化」と呼びます。
その道具が「構造シート」です。やることは、ざっくり言えば四つ。まず、書きたい話題を手持ちの材料からとにかく箇条書きで出す。次に、並んだ話題を眺めて「この文章で何を言うのか」という主眼(テーマ)を一つに絞る。
それから、どの話題をどの順で書くかを数字で振る。最後に、どれを厚く・どれを軽く書くかをA・B・Cで格付けする。この主眼と骨子を紙に書き出してから、はじめて肉付けに入る。
やっていることは、これだけです。
たったそれだけなのに、効果がはっきり数字に出るのが面白いところです。準備なしにいきなり書き始めると、記事の仕上がり時間は大きくブレる。ところが構造シートを一枚通すと、所要時間がぐっと安定する。
新人記者は手書きとメモ書きを合わせて相当な本数のトレーニングを積み、熟練すると主眼と骨子を頭の中でほんの十数秒で組めるようになるそうです。そのブレ幅の具体的な数字と、熟達までに積む反復の量は、ぜひ本書で見てほしい。
「ここまで再現可能なものなのか」と、文章という営みへの見方が変わるはずです。
個人的に唸ったのは、結論を冒頭に置く「サビ頭」という考え方でした。
文章をおしまいまで読みたくなるような、魅力的な一段落を最初に持ってくる
音楽で一番盛り上がるサビを頭に持ってくるように、最初に山場を見せて読者を引っぱる。著者自身、自分の書く記事の大半でこのサビ頭を採用していると明かします。
結論を最初に出すのは、読者を完読まで連れていくための、例外ではなくほぼ標準装備の定石なのだと腑に落ちました。報告書やメールでも、結論を末尾までしまい込む癖のある人には、これだけで効くはずです。
材料となる事実を集めるときの道しるべになるのが、おなじみの5W1Hです。いつ・どこで・誰が・何を・なぜ・どのように。これに沿って漏れを確認すれば、書くべき材料がほぼそろう。
さらに、書いている途中で手が止まったら、表現をこねくり回すのは逆効果だと著者は言います。目の前にお客さんがいるつもりで、声に出して人に説明してみる。
すると、書くべき順番が嘘のようにすっきりする。これは私も試してみて、確かに効きました。
書いたら「読み返し方」を変える
設計図どおりに書き上げたら、そこからがもう半分です。ここで本書は、漫然と読み返すなと釘を刺します。
意味は脳、字面は目、語呂は耳と、複数の感覚器を使って、立体的にブラッシュアップする
同じ文章でも、論理の正しさと、見た目のバランスと、音のリズムは、別々の感覚で読まないと拾えない。意味(脳)では、誤字脱字や事実誤認、論理のねじれを黙読でチェックする。
字面(目)では、漢字ばかりで画面が黒っぽくないか、ひらがなばかりで白っぽくないかという見た目のバランスを見る。語呂(耳)では、頭の中で音読してリズムを確かめる。
この「三つの器官で読む」という発想だけでも、自分の推敲がいかに一面的だったか思い知らされます。
なかでも実戦で一番効くのが、重複チェックです。同じ単語、同じ文末、同じ「の」が、近い距離でダブっていないか。基準は明快で、2連は黄色信号、3連はアウト。
「〜しました。〜しました。〜しました。」という文末の三連続や、「私のおばさんの三女の会社の社長は……」という「の」の連続を見つけたら、言い換えるか、思い切って削る。
感覚ではなく機械的に直せるので、誰でも今日から使えます。
冗長さを削る作業も、本書は容赦がありません。キーフレーズは「身も蓋もないくらいでちょうどいい」。強引な接続詞、意味のない「という」、なくても通じる代名詞や修飾語をそぎ落とし、引き締まった文章を目指す。
文章の速さを「情報量÷文字数」という関係で捉える視点もあって、「うまい・へた」を数値の手前まで分解してくれます。ただし、削りすぎや体言止めの多用は、隠れた言葉を読者に補わせる負担になり、かえって離脱を招く。
何でも削ればいいわけではない、というバランス感覚も添えられているのが誠実なところです。
いちばん意外だった一節
私がこの本でいちばん「うっ」となったのは、推敲の細かな技術ではなく、読者との距離感についての指摘でした。イベントレポートで「会場は感動の渦に包まれた」と書きたくなる、あの気持ちに、本書はこう冷や水を浴びせます。
書き手が盛り上がれば盛り上がるほど、読者を白けさせてしまうものです。
感動は書き手が宣言するものではなく、事実を描写して読者の側に起こさせるもの。「会場は感動に包まれた」と言う代わりに、「ファンから大きな拍手が起きた」という事実を描けば、感動するかどうかは読者が決める。主観を述べるのは読者の仕事で、書き手は事実に徹する。ナタリーの「速い・フラット・ファン目線」というポリシーが、ここに凝縮されています。言われてみれば当たり前なのに、自分の文章がいかに「感動した」と言いたがっていたか。ここを読んでから、私は形容詞を一つ削るたびに、少し誠実になれた気がしています。
事実をめぐる原則も鋭い。著者は「自分が理解していない言葉を一語たりとも書いてはいけない」と言い切ります。ナタリーでは人名や作品名の手打ちを禁じ、必ず公式ソースから検索してコピーし、複数のソースで裏を取る。
固有名詞、「初の」「唯一の」といった最上級表現、そして数字――この三つが、誤植の起きやすい「ミスの地雷原」だと指摘します。材料を引き出すインタビューの極意も、突き詰めれば「同意」と「深掘り」の二つだけ。
このあたりの実務の知恵は、ぜひ本書で受け取ってほしいところです。
おわりに
この本を読んで、いちばん肩の荷が下りたのは「文章にセンスはいらない」という一点でした。書けなかったのは能力のせいではなく、書く前の段取りを飛ばしていただけ。設計図を先に作れば、あとは組み立てるだけ。プラモデルと同じです。
私はメールを書く前に、頭の中で一瞬「何を言うか」と「どの順で言うか」を確認するようになりました。たったそれだけで、書いては消すループから少し抜けられた。
良い文章とは、最後まで読まれる文章。その一点を握ったまま、まずは紙に話題を三つ書き出してみる。文章の勝負は、キーボードを打つ前の数分に、もうほとんど決まっています。
残りの手順と数字は、ぜひあなた自身の手で確かめてください。
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『読みたいことを、書けばいい。』田中泰延さん 本書が「完読される実用文の技術」なら、こちらは「そもそも何を書くか」を問う一冊。構造シートで型を身につけた後、書く動機そのものを見直したい人に響きます。
『日本人のための「書く」全技術』藤吉豊さん・小川真理子さん 本書の推敲・明快さのルールを、さらに体系的に網羅したい人へ。重複の排除や具体的な言葉選びを別の角度から補強してくれます。
『日本語の作文技術』本多勝一さん 本書の第3章「係り受け」「読点」をもっと深掘りした古典。長い修飾語を先に置くといったルールの理屈を、根本から理解できます。
