新卒で入った専門商社で、倉庫に並んだ鉄骨100本をデッキブラシで洗う研修を受けた。同期20人で流れ作業を組み、洗浄時間を競うように短縮したところで、洗い終えた鉄骨はやはりただの鉄骨のままだった。
『明日クビになっても大丈夫!』の著者、ヨッピーさんが新卒時代に経験したエピソードです。無駄だとわかっている作業を、誰も止めようとしない。本書はこの手の組織への違和感から出発します。
面白いのは、そこから「だから会社を辞めろ」に行かないことです。会社にしがみついて出世を待つか、辞めてリスクを取るか。ヨッピーさんが置くのはこの二択の外側にある道です。
会社員の給料と身分は手放さず、趣味を副業に育てて信用を積み上げる。本人の言葉を借りれば「かじれるスネは限界までかじる」戦略です。
著者はインターネットで屈指の数字を持つライターと評される人物で、お笑いサイト「オモコロ」での体当たり企画や、企業の炎上取材でも知られています。その人が自分の会社員時代の失敗談と、独立後の生々しい家計まで開いて書いたのが本書です。

こんな人におすすめ
- 今の会社に大きな不満はないが、この先ずっと同じ働き方でいいのか迷っている人
- 「好きなことで生きていく」と言われて、好きなことが思い浮かばなかった人
- 発信を始めたいが、何を書けば読まれるのか見当がつかず手が止まっている人
逆に、「今すぐ会社を辞めてリスクを取れ」と焚きつけてほしい人には向きません。本書の立場はむしろ逆で、辞めることを急がせない一冊です。
会社は「代わりのきく人材」を量産する仕組みだ
組織が大きくなるほど、担当者が誰であっても同じ結果を出せる体制が整えられていきます。属人性を減らし、再現性を上げる。経営の理屈としては筋が通っています。
ただし個人がやりがいを覚えるのは、たいてい「自分にしかできない」という実感がある瞬間です。組織の目的と、個人がやりがいを覚える条件は、最初から逆方向を向いている。ヨッピーさんはこの構図を、自身の商社時代の記憶で裏づけます。
「組織が優れていれば優れているほど、個人のやりがいは搾取される仕組みになっていると言っていいかもしれない。」
承認印はあえて斜めに押す。上司にお辞儀しているように見せるためだという慣習。2週間かかる決裁を短くするために2億円のシステムを導入しても、やはり2週間かかったという顚末。
営業職なのにノートPCの持ち出しは禁止され、顧客とGmailでやり取りしただけで上司に叱られる。一つひとつは笑い話に近いのですが、積み重なると「尖った人材」を掲げながら実際には尖りを許さない組織の姿が見えてきます。
留保しておきたいのは、この描写がどの職場にも当てはまるわけではない点です。ヨッピーさんが在籍したのは伝統的な大手専門商社で、決裁や承認の慣習が濃く残る業界でした。
裁量の大きいベンチャーや外資系の読者には、ここまでの息苦しさに心当たりがないかもしれません。それでも、成果より前例を優先する空気そのものは、規模を問わず多くの職場に薄く存在するはずです。
好きの物量で、プロを上回るという計算
会社員がその仕事を考えるのは、勤務時間のあいだだけです。一方で寝ている時間以外ずっとその話を考えている人間がいれば、単純な時間の掛け算で後者が優位に立つ。ヨッピーさんはそう言い切ります。精神論ではなく算数として提示しているのが本書らしいところです。
裏づけは著者自身の経歴です。10代の終わりからネットに日記を書き始め、会社員になってからも休日を返上して「オモコロ」に体を張った記事を投稿し続けました。
最初の原稿料は1本2000円。依頼されてもいない過酷な企画を、面白がって実行し続けた末に、いまでは屈指の数字を持つ書き手になっています。
本書はここに、消費する趣味と生産する趣味という区分を重ねます。分かれ目は、世の中へ向けたアウトプットがあるかどうかだけです。映画を観て感想を胸にしまえば消費、同じ感想を公開すれば生産に変わる。
下手でもいい、というのが著者の立場です。発信を続けていれば見ている誰かが背中を押し、実力以上の機会が回ってくる、と。
ただ、この「下手でもいい」を額面どおりに受け取るのは危うい気もします。ヨッピーさんが原稿料2000円の仕事を積み重ねて今の立場に辿り着くまでには、10年を超える年月と、笑いのセンスという固有の資質が働いています。
物量さえこなせば誰でも同じ結果に着地するとまでは、本書も言っていません。着地点の規模は保証されない代わりに、着手のハードルだけを徹底して下げてくれる。
そう捉えるのが実態に近いはずです。
会社を辞めずに実験し、辞める条件を先に満たす
「専業でなければ本気になれない」という思い込みを、ヨッピーさんは真っ向から否定します。根拠に挙げるのが友人の漫画家、鴻池剛さんの例です。会社員を続けながら息抜きにSNSへ漫画を上げていたところ人気が爆発し、単行本は50万部を超えました。
会社員という身分は足かせよりも盾に近い、という指摘がここに続きます。生活費の心配がないからこそ、割の合わない仕事を断れる。著者自身、独立直後に怪しい依頼を断れず、なけなしの資金を溶かした過去も告白しています。
会社員の安定さえあれば、あのとき断る余裕があったはずだ、と振り返っています。
だからこそ辞める前に、副業の側で結果を出しておくことを本書は強く求めます。基準は3つです。月10万円以上を半年以上、安定して稼げていること。
1年間無収入でも耐えられる貯蓄(独身なら300万円が目安)があること。固定費を切り詰め、身軽になっていること。3つすべてを満たすまでは辞めるな、というのが一貫した立場です。
正直に言うと、この基準を今日満たせる読者はほとんどいないはずです。むしろ本書の狙いは、いつか辞めるための逆算の起点を示すことにあります。実際、独立直後のヨッピーさんの月収は4万円で、会社員時代の年収のおよそ12分の1でした。
クレジットカードの新規発行も賃貸の審査も通りにくくなり、部屋を借りる際は親族に保証人を頼んだといいます。退職日の調整を怠っただけでボーナスの支給対象から外れ、数十万円単位の実損を出したという記述もあり、辞め方一つで手取りが大きく変わる現実も具体的です。
会社員時代の同僚が自分抜きで飲みに行ってしまう寂しさまで書いているあたり、独立の魅力だけを語らないバランス感覚が本書の信頼できるところだと感じます。
予測ではなく、確実に来る未来に座る
視座は個人の話から、どこで戦うかの話へ移ります。ヨッピーさんが重視するのは、当たるかどうかわからない流行の予測ではなく、人口減少や自動運転のようにほぼ確実に起こる変化です。本書はこれを「わかる未来」と呼びます。確実な流れに乗れば、少ない労力で遠くまで進める、という理屈です。
そのうえで、競合と品質を競い合う「戦術」ではなく、まだ誰も座っていない椅子を見つける「戦略」に頭を使えと説きます。実例が、大手広告代理店で働きながら週末にDJをしていた友人の話です。
DJ単体では埋もれるところに、フロアへ泡を撒く独自の演出を掛け合わせて立ち位置をずらし、脱サラに至りました。
もう一つの武器が撤退です。ヨッピーさんはオモコロで得意分野を確立するたびに、より強い書き手が現れると潔く手を引き、次の持ち場へ移ってきました。
「『逃げる』事だって立派な『行動』の内の一つだ。一番よくないのはなんとなく目の前の日常を過ごしてしまう事であって、終身雇用が崩れた今ではそれが何よりのリスクになる。」
企画が当たるかどうかも、勘ではなく「広さ・深さ・距離感」という3つの物差しで採点します。対象になる人の広さ、当事者の思い入れの深さ、読み手との心理的な近さ。この3軸で自分の企画を測ってから世に出す、という考え方です。
そして本書は最後に、稼ぎの相手を取り違えるなと釘を刺します。金を払うクライアントではなく、その先にいる読者こそ裏切ってはいけない相手だという主張です。
クライアントが対価を払うのは、背後に読者がついているからにすぎません。読者の不利益になる宣伝を頼まれたら、経費を自腹で払ってでも断る。この一線だけは譲らないという姿勢に、本書全体の軽妙な語り口とは違う芯の強さを感じます。
人脈についての一言も辛口です。実力が伴わないまま名刺だけ交換しても意味はなく、人脈は実力についてくる付属品にすぎないという突き放し方をします。発信や副業をSNSでの繋がりづくりだと勘違いしている読者には、耳の痛い一節になるはずです。
明日から変えること
本書には実践項目が数多く並びますが、貯蓄や副業収入のようにすぐ動かせないものも多い。そこで手元の裁量だけで着手できるものを3つに絞りました。
1. やってみたいことを100個書き出し、1つだけその日のうちに予約する 書き出すだけでは何も変わりません。リストの中から1つを選び、申し込みか予約まで済ませてしまいます。
2. 今週消費したものを1つ、アウトプットに変えて公開する 観た映画でも読んだ本でもかまいません。感想を下手なままでも出してしまう。上手くなってから公開しようとする人は、たいてい公開しません。
3. 固定費を1つ見直す 3つの条件のうち、月10万円と貯蓄300万円の壁は今日どうにもなりません。動かせるのは固定費だけです。家賃、車、使っていないサブスク。生存コストが下がるほど、選べる道は増えます。
かじれるスネは、かじれるうちにかじっておく。会社を辞める勇気の話としてではなく、辞めなくても今日から始められる準備の話として、本書は読めます。
