通帳の残高を見て、なぜか安心できなかったことはありませんか。
増えているはずなのに、心のどこかがざわつく。もっと貯めなきゃ、という焦りだけが残る。私にもその感覚があります。
本書は、そのざわつきの正体を言い当てようとする一冊です。著者の中野善壽さんは、80歳を超えてなお現役の経営者。国内外で数々の企業再生を手がけてきた人です。
その中野さんが、稼いだお金にはもともと「汚れ」がついている、と言い切ります。だから、ただ貯め込むほど、その汚れは溜まっていく。お金との付き合い方を、根っこからひっくり返してくる本です。

この本の核心――「お金」と「銭」を分ける
本書のすべては、ひとつの区別から始まります。「お金」と「銭」を分けて考えることです。
中野さんによれば、私たちが稼ぐ営みには、人の欲や恐れを刺激する側面がある。だから稼いで得たお金には、業(カルマ、行いによって生じる目に見えない負の力)が染みついている。これを彼は「銭」と呼びます。
ところが、ここからが面白い。同じお金でも、使い方しだいで性質が変わる、というのです。
「他人の幸せのため」と意識して正しく使えば、お金と相思相愛に。(本書より)
他人の幸せを意識して正しく使えば、汚れた「銭」は浄化されて輝く「お金」になる。逆に私欲のためだけに溜め込めば、汚れは積もっていく。つまり、お金がきれいか汚いかは、稼いだ金額では決まらない。使い方で決まる。これが本書を貫く一本の軸です。
だから著者は、貯め込むことをはっきり否定します。将来が不安だから、とにかく貯める――その行為そのものを彼は不徳だと言う。なぜそこまで言い切れるのか、その理屈はぜひ本書で受け止めてみてください。読んでいて一番、自分の常識が揺さぶられる箇所でした。
個人の財布から、会社の経営まで――一本の原則
私がこの本を単なる精神論で終わらせていないと感じたのは、「使い方が先」という発想が、個人の財布から会社の経営まで一貫して貫かれているからです。
たとえば経営。会社が苦しくなると、たいていの人はまず「何を削るか」を考えます。でも中野さんは、削ることから新しいものは生まれないと言う。立て直しの場面でも、まず手元のお金を「どう使うか」という攻めの戦略から決める。進む方向が定まると、応援してくれる人や縁が舞い込んでくる、と。
個人の側では、出発点になるのが「暮らしを満たす最少金額」を知ることです。自分が過不足なく生きるのに、月にいくらあれば足りるのか。その線を正確に引き、超えた分は他者のために回せるお金として割り切る。中野さん自身がいくらに線を引いているのか、その具体的な金額は本書のなかで明かされます。ここで大事なのは、これが我慢や禁欲の話ではなく、上限を決めるという話だということ。著者はむしろ欲そのものは肯定しています。線を引くからこそ、その内側では伸び伸びお金を回せる――この発想の転換が、本書の心地よさの正体だと思います。
ほかにも、現金にこだわる理由、給料を「成果への対価」ではなく「先に渡す期待」として配る方法、運を運んでくるのは結局いつも「人」だという縁の磨き方など、エピソードは多岐にわたります。ただ、ここで全部を並べるのは野暮でしょう。代表的なものを一つだけ紹介して、あとは本書に預けます。
一番、手に取りやすい哲学――レジで「ありがとう」
数ある実践のなかで、私が一番好きなのはこれでした。
中野さんは、キャッシュレス全盛の時代にあえて現金派です。画面をかざすだけだと「お金を使った」実感が薄れ、提供してくれた相手への感謝も遠のく、と考えるから。だから財布をきれいに保ち、買い物のときは店員の目を見て「ありがとう」と伝える。
レジで支払うときに「ありがとう」。必要なものを買えることに感謝を。(本書より)
商品が手元に届くまでには、作る人、運ぶ人、売る人がいる。その背景に想いを馳せながら支払う。たったこれだけのことで、お金のやり取りが決済から温かいコミュニケーションに変わる。本書の壮大な哲学が、もっとも小さく、もっとも今日から真似できる形で現れているのがこの習慣です。難しい理屈を抜きにしても、ここだけ持ち帰る価値があると感じました。
どんな人に効くか
正直に言えば、本書は万人向けではありません。業(カルマ)や徳といった精神性の語りが随所に出てくるので、今すぐ使える節約術や運用テクニックを求める人には肩透かしでしょう。
逆に深く刺さるのは、収入は増えたのに満たされない経営者やリーダー、そして人生の後半でお金の「使い切り方」を考え始めた人です。「もっと稼げば解決する」と思ってきた人ほど、稼ぐ側ではなく使う側に答えを置くこの本に、足元をすくわれるはずです。
稼ぎ方の本は世にあふれています。でも、使い方の哲学を、ここまで実務の手触りとともに語る本は多くない。通帳の残高を見て、もし今日また少しざわついたら。その額をどう増やすかではなく、どう使えば誰かが喜ぶかを、一度だけ考えてみる。その問いの答えを、ぜひ中野さんの言葉で確かめてみてください。
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