あの人がいないと回らない。
ノウハウが個人に閉じている。退職者が出るたびに知識が失われる。高価なMAツールを導入したけど、使いこなせてない。
これ、日本企業のマーケティング現場で起きている「あるある」です。
丸井達郎さん・廣崎依久さんの『マーケティングオペレーションの教科書』は、この構造的な問題の正体と解決策を示してくれます。
鍵は「MOps(マーケティングオペレーション)」という新しい専門職能。

この本の核心:MOpsとは何か
本書が提唱するMOpsとは、こう定義されます。
マーケティング組織のデータやシステムの活用を推進するため、管理体制やプロセスを構築・運用する役割
つまり、MOpsは施策を企画・実行する「マーケター」とは別の専門職。テクノロジー、プロセス、データ、組織の4つの側面から、現場のマーケターを舞台裏で支援します。
欧米では、80%以上の企業が専任のMOps担当・チームを設置しているという調査結果もあります。CMO(最高マーケティング責任者)の投資分野としても、「デジタルコマース」に次いで「MOps」が挙げられているほどです。
本書の全体像:なぜ「仕組み」が必要なのか
本書の構成は明快です。
まず、日本企業のマーケティング現場が抱える構造的課題を指摘します。「戦術設計」の欠如、属人化、システム・データ活用の壁。
次に、MOpsの4つの主要な役割を解説。テクノロジー管理、プロセス策定、データマネジメント、チーム教育。
そして、レベニュープロセスマネジメント、生産性管理、テクノロジースタック設計といった具体的な実践方法を示します。
最後に、MOpsがさらに進化した「RevOps(レベニューオペレーション)」という概念を紹介し、組織全体の収益最適化への道筋を描きます。
1. 日本のマーケティング現場が抱える構造的課題
多くの日本企業には、3つの深刻な問題があります。
課題1:戦術設計の欠如
戦略を立てた後、すぐにウェビナーやイベントといった個別の「実行」に移る傾向が強い。グローバル標準では、戦略を最適な人員、テクノロジー、プロセスで実行するための「戦術」をデータに基づいて熟考するプロセスが重視されます。
課題2:属人化と再現性の欠如
マーケティング活動のノウハウが特定の担当者に集中。「担当者の退職で全てがブラックボックス化する」という事態は、事業継続を脅かす重大なリスクです。
課題3:システム・データ活用の壁
「高価なシステムを導入したが使いこなせない」「データはあるが使い方がわからない」。これはツールの問題ではありません。それを活用するための組織的なオペレーションモデルが欠如していることが原因です。
2. 複雑化するマーケターの役割
現代のマーケターに求められるスキルは、異常なほど広範になっています。
広告運用、コンテンツ制作、イベント運営、MA運用、データ分析、クラウドシステムの仕様理解——。
著者はこれを「プロバスケットボール選手に、明日からプロ野球選手を目指してください」と言っているようなものだと表現しています。
一人の「スーパーマーケター」にすべてを依存するのは、非現実的。そして組織として持続可能ではありません。
だからこそ、施策を実行する「フィールドマーケター」と、テクノロジーやプロセスを管理する「MOps」という役割分担が必要なのです。
3. MOpsの4つの主要な役割
MOpsの業務は大きく4つの領域に分けられます。
役割1:テクノロジーの選定・導入・管理
MA、CRM、CMS、広告プラットフォーム、BIツールなど、爆発的に増えるツールの中から自社に最適なものを選択し、効果が最大化される組み合わせ(マーケティングテクノロジースタック)を設計します。
役割2:プロセスの策定とベストプラクティスの共有
MAツールの運用プロセスや測定指標を標準化。社内Wiki(NotionやConfluenceなど)を活用して、ツール運用法、成功事例、マーケティングカレンダー、議事録などを一元管理します。
役割3:データマネジメントと分析
複数のプラットフォームに散在するデータを統合し、BIツールやDMPを用いて分析。各施策が収益に与えた影響を専門的にレポートします。
役割4:チームのテクノロジー教育
研修や文書を通じて、ツールの正しい使い方や社内ルールを教育。新入社員のオンボーディングも担当します。
4. 「キャンペーンリクエストフォーム」という仕組み
属人化を防ぐ最も具体的な仕組みが、キャンペーンリクエストフォームです。
マーケティング施策を実行する前に、目的、ターゲット、KPI、予想ROI、必要なリソースなどを具体的にフォームに入力し、責任者が承認する。
これをJiraやAsanaなどのプロジェクト管理ツール上で運用することで、施策データが標準フォーマットで蓄積されます。
効果は絶大です。
過去の施策から「特定の業界に効果的だったメッセージ」「このコンテンツタイプは反応が良い」といったノウハウを抽出できるようになる。
「あの人に聞かないとわからない」がなくなります。
さらに、SLA(サービスレベルアグリーメント)を設定。「メール配信設定依頼は3営業日以内に完了」といったタスク実行の明確なルールを定めることで、計画的な業務遂行が可能になります。
5. レベニュープロセスマネジメント
マーケティングの成果を収益に結びつけるには、リード獲得から受注までのプロセス全体を管理する必要があります。
最低限、「リード」「商談」「受注」の3つのステージと、その間の移行率(コンバージョン率)、各獲得単価を可視化することが第一歩です。
ここで重要なのが「クオリフィケーション(適格性評価)」。
獲得した全てのリードを営業に渡すのではなく、特定の基準を満たした有望なリードのみを選別するプロセス。これにより営業の生産性が劇的に向上します。
MQL(Marketing Qualified Lead)という概念がカギになります。
MQLとは、マーケティング部門が有望だと判断し、営業部門と合意した基準を満たすリード。
展示会の事例がわかりやすいです。展示会は名刺獲得単価(CPA)が安い施策として知られています。でも、獲得したリードの多くは「たまたま通りかかった」人々。MQLへのコンバージョン率を計算すると、CPQL(MQL獲得単価)は跳ね上がる可能性がある。
「名刺1,000枚集めました!」で満足してませんか。そのうち、何件がMQLになりましたか。
6. スコアリングの仕組み
MQLを判定するために、MAツールを用いてリードに点数をつけます。
属性スコア
業種、従業員数、役職といったリードのプロフィール情報に基づく。「自社にとって理想的な顧客像に近いか」を評価。
行動スコア
ウェブサイト訪問、資料ダウンロード、セミナー参加といったリードの行動履歴に基づく。「自社製品・サービスへの興味関心が高いか」を評価。
この2つのスコアを組み合わせ、合計点がしきい値を超えたものを自動的にMQLとして認定します。
感覚的なリード評価を排除し、データに基づいた営業へのパスを自動化するエンジンです。
7. 生産性管理と「活動量」の重視
マーケティングの成功は、一発逆転のアイデアよりも、計画的な活動量の担保と継続的な改善によってもたらされます。
著者は「勝率3割の法則」を紹介しています。
どんな優秀なマーケターでも施策の勝率は3割程度。失敗を前提とし、多くの打席に立つ(施策を実行する)ことが重要。
プロジェクト管理ツールで全タスクを管理することで、各施策にかかる工数(時間、人件費)がデータとして可視化されます。これにより、「1時間の作業が生み出すROI」といった生産性指標での管理が可能になります。
シリコンバレーでは、半年から1年先までの緻密なマーケティングカレンダーが標準だそうです。「バズる」施策に頼るんじゃなくて、データに基づき年間を通じた施策の活動量を計画する。
8. テクノロジースタックの設計
約1万ものマーケティングツールが存在する中で、自社に最適な組み合わせを構築するアプローチが求められます。
構築の4ステップ
- 要件定義:1〜5年後の中長期的な目標を定め、必要な機能を洗い出す
- 主要ツールのリサーチ:既存ツールとの連携性やコスト、サポート体制などを比較検討
- スタックのデザイン:課題や目的ごとにツールを分類・整理し、全体像を描く
- ロードマップの策定:導入の優先順位を決め、長期的な導入計画を立てる
デジタルIQの高い企業は、特定の機能に特化した複数の「ポイントソリューション」を組み合わせ、自社に最適で柔軟なスタックを構築する傾向にあります。
9. データ連携の鍵「iPaaS」
多数のツールを導入すると、データが各ツール内に孤立する「サイロ化」が問題になります。
iPaaS(Integration Platform as a Service)
異なるクラウドサービスやアプリケーションを容易に連携させるためのプラットフォーム。ZapierやMakeなどが代表例です。
これにより、複雑な開発なしに、MA、CRM、ECサイト、POSデータなどをつなぎ、一貫したデータ分析や自動化ワークフローを構築できます。
10. MOpsの進化形:RevOps
MOpsの概念は、マーケティング部門内にとどまらず、企業全体の収益プロセスへと拡張されています。
RevOps(レベニューオペレーション)
MOps、Sales Ops(営業オペレーション)、CS Ops(カスタマーサクセスオペレーション)を統合し、収益に関わる全部門のプロセス、テクノロジー、データを一元的に管理・最適化する役割。
各部門が部分最適に陥ることで生じる摩擦(例:マーケと営業のリード品質に対する認識のズレ)を防ぎ、エンドツーエンドでの一貫した顧客体験を提供します。
本書の強み
本書はMOpsの「組織設計」と「プロセス構築」に焦点を当てています。
本書がカバーしていない領域
- 具体的なMAツールの操作方法
- クリエイティブ制作のノウハウ
- 業界特有のマーケティング戦略
また、MOps導入には組織的な変革が必要であり、現場の抵抗やクリエイティビティの低下といったリスクも伴います。著者も「ソフトスキル(コミュニケーション、リーダーシップ)」の重要性を強調しています。
補完として、『ユニクロの仕組み化』で仕組み化の具体例を、『孫社長にたたきこまれた すごい「数値化」仕事術』で数値管理の手法を学ぶと、より実践的に理解できます。
実践アクション:明日から始める3ステップ
ステップ1:施策の記録を始める
まず、今走っている施策の「目的」「ターゲット」「KPI」をドキュメント化する。フォーマット化はまだできていなくても、記録を始めるだけで意識が変わります。
ステップ2:MQLの基準を営業と合意する
「どんなリードなら営業が対応したいか」を具体的に定義する。業種、役職、行動(資料DL、デモ申込など)の条件を明文化する。
ステップ3:ノウハウを社内Wikiに集約する
NotionやConfluenceで社内Wikiを立ち上げ、運用ルール、成功事例、オンボーディング資料を一元管理する。「あの人に聞く」から「Wikiを見る」への転換を始める。
こんな人におすすめ
- マーケティング組織の属人化に悩んでいる人
- 施策のノウハウが個人に閉じていると感じている人
- 営業とマーケの連携がうまくいかない人
- 高価なMAツールを導入したが使いこなせていない人
- 「誰がやっても一定の成果が出る」仕組みを作りたい人
- マーケティングのROIを経営層に説明できない人
おわりに
結局、「優秀な人材を採る」だけでは解決しないんです。
優秀な人がいても、その人のノウハウが共有されなければ、組織の資産にならない。その人が辞めたら、またゼロから。
本書が言ってるのは、個人の能力に依存しない「仕組み」を作れということ。
マーケティングを属人的な「アート」から、再現性のある「組織の科学」へ。
「あの人がいないと回らない」を終わらせる。
まずは、キャンペーンリクエストフォーム。ここから始めてみませんか。
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