会社の机に向かいながら、「これ、自分で選んだ仕事だっけ」とふと思ったことはありませんか。
上司に言われたからやっている。そう感じる瞬間が増えるほど、仕事はただの作業に痩せていきます。本書はその前提そのものを覆してきます。会社で業務をしているのは、上司がそうさせているからではない。最終的にその仕事を引き受けているのは、ほかでもない自分だ、と。
やや厳しい言い方ですが、ここを認めない限り何も始まらない、という著者の覚悟が滲んでいます。
『起業家のように企業で働く』は、日本生命、マッキンゼー、アップル、ユニデンを渡り歩き、その後は慶應義塾大学などで教鞭をとってきた小杉俊哉さんの一冊です。
書かれたのは2013年。終身雇用が崩れたと誰もが薄々気づいた時代に、20〜30代のビジネスパーソンへ宛てた手紙のような筆致で綴られています。
タイトルだけ見ると「だから独立しろ」と煽る本に思えますが、読むと真逆でした。会社を辞めるな、むしろ居続けて巨大なリソースを使い倒せ、ただし働き方だけは起業家のように変えろ——それが本書の主張です。

だれに刺さる本か
刺さるのは、「もっと自分から動け」と言われて戸惑っている人だと思います。言われた仕事はきちんとこなすのに、何をどう動けばいいのかわからない。
同じ会社に何年もいて、転職市場で通用する自信もない。大企業の歯車でいることに、どこか後ろめたさを感じている。本書はそういう人の、握られている手をどう外すかを教えてくれます。
逆に、すでに独立を腹に決めていて起業のノウハウそのものを探している人や、出世のための社内政治術だけを知りたい人には物足りないはずです。本書はあくまで、会社という土俵の上で戦う人のための本だからです。
ここで言う「起業家マインド」は、会社を辞めることではありません。会社にいながら自ら仕事を作り出し、自分の責任で価値を生もうとする姿勢のこと。
著者によれば、社内でどんどん出世する人も、やらされ感なく楽しそうに働く人も、例外なくこのマインドを持っているといいます。独立する・しないの話ではない、とまず腑に落ちました。
「言われたことをやれば安泰」が壊れた日
著者がいちばん壊そうとするのは、「言われたことを期限通りにやれば安泰」という思い込みです。むしろ「言われたことをきちんとこなす優秀な社員」こそ、これからは要らなくなる、とまで言い切ります。
理由はシンプルで、いまの時代は上司すら正解を持っていないからです。環境が激変し、過去の成功体験が通用しなくなった。だから上司から適切な「問題文」を与えられること自体が、もう期待できない。
ビジネス環境が激変する今、上層部でさえ正解を知らない
ここで本書は受験勉強の比喩を持ち出します。学校では誰かが作った問題文を解く力が評価された。でもビジネスでは、その問題文を誰も用意してくれない。
求められるのは問題を解く力(How)ではなく、自ら問題文を作り出す力(What)だ、と。新入社員から3年ほどは言われたことを一人前にこなせれば十分。
しかしそこから先もずっと「言われたこと」だけをやり続ける人は、価値を生まなくなっていく、という警告です。
説得力を補強するのが企業の実例です。GEのジャック・ウェルチもIBMのルイス・ガースナーも、潰れかかった企業を立て直すとき、変化についていけない既存社員ではなく外から人材を大量に採用しました。
一方、ミニコンで市場を席巻していたDECは、いまいる社員にこだわってパソコンの波に乗り遅れ、買収されて消えた。会社は変化に対応できない人を抱え続ける余裕がない——この冷たい事実が、自律という抽象論にリアリティを与えています。
著者はこの転換点を、大手金融機関が相次いで破綻し「大手にいれば一生安泰」が崩れたあの時代に重ねます。企業と個人の関係は、親子のような従属から、対等な大人同士へと変わった。
対等であるなら、自分の市場価値は自分で高めるしかないのです。
時間単価という、地味で痛い問い
本書には実践ツールがいくつも出てきますが、私がいちばん刺さったのは「自分の1時間あたりのコストを、円で即答できますか」という問いでした。
計算方法は身も蓋もなく具体的です。年収を年間の労働時間で割り、さらに会社が負担している見えないコスト——社会保険料やオフィス代など、給与の1.5倍〜2倍とも言われます——を足す。
すると自分が1時間あたりいくらの存在なのかが出てきます。本書の例ではそれが1時間4000円。ということは、2時間半の会議に出ただけで1万円超のコストがかかっている計算です。
その会議で、あなたは1万円以上の価値を生み出したか。生んでいなければ、会社に無駄金を使わせたことになる。たかが数字なのに、意識した瞬間からダラダラ続く会議の見え方が一変します。
著者はこの感覚を「投資家からの評価」と呼びます。会社員はつい上司の評価ばかり気にするけれど、上司は数年で替わる。本当に気にすべきは市場から見た自分の価値、すなわち他社が「報酬を払ってでも雇いたい」と思う力——エンプロイアビリティだ、と。
参考までに、売上100億円で従業員250人の会社なら一人当たり売上高は4000万円、商社や銀行では1億円を超える、といった数字も示されます。
自分は取り分以上のものを会社に返せているか。その問いを持つだけで仕事の見え方は変わります。このほか6〜7割の完成度で素早く出すQuick & Dirty、WILLとMUSTの接点を図で探す方法など、明日から試せる道具も並びます。
網羅するより、自分に効く一つを拾うのが正解だと感じました。
「企業でこそ大きな仕事ができる」という逆説
ここが本書の核心であり、最も痛快なところです。独立をけしかけるどころか、著者は「大きな仕事は企業でこそできる」と言い切ります。ヒト・モノ・カネ・ブランド——起業家が喉から手が出るほど欲しいものが、会社員には最初から手元にある。
起業家はこれをゼロから集めねばならないのに、です。著者はこれを束縛ではなく特権だと捉え直します。
実例が効いています。ある広告代理店のYさんは、自社のブランドと資金を使って大学教授や有識者、同業他社まで巻き込む勉強会を立ち上げました。会社の看板があるから普通は会えない人が集まる。
そのネットワークが結実して複数社出資の新会社が生まれ、Yさんは30代半ばでその社長に抜擢され上場まで果たします。監査法人トーマツの斎藤祐馬氏は、収益化の難しいベンチャー支援を社内事業として発案し、関係者全員がWin-Winになる座組みを意識しながら平日の夜や土日で広げ、毎回70〜80人が集まる「Morning Pitch」を全国20拠点・100名の体制にまで育てました。
共通するのは、会社のリソースを「自分のやりたいこと」に使い、しかも「社会の役に立ちたい」という志があったから人が動いてくれた点です。
本書はさらに常識をひっくり返します。花形の本流より、注目されにくい傍流のほうが上司の目が届かず裁量が大きく、若くして飛躍できる——「姥捨て山」と言われた研修部門に自ら志願したMさんは、後悔のないキャリアを築きました。
会社を辞める「転社」と違い、部署異動で職種を変える「社内転職」なら過去の実績を抱えたまま新天地に挑める、というのも日本企業ならではの武器です。
極めつきは「愛社精神を持つ社員は仕事ができない」という挑発。米国の調査では成績の悪い従業員ほど自己評価が高く会社を好むという傾向があり、ここから著者は「いつでも辞められると腹を括った人ほど、忖度なくリスクを取り、本質的な仕事ができる」という逆説を導きます。
辞める覚悟は逃げではなく、正しいことを貫く土台なのだ、と。会社を「リソースの牢獄」と見るか「使い倒せるプラットフォーム」と見るか。同じ机、同じ仕事の意味が、視点ひとつで反転します。
おわりに
読み終えて残るのは、テクニックの一覧ではありませんでした。
会社で働いているのは誰かにやらされているからではなく、自分で選んでいるからだ。この一点を腹に落とせるかどうか。本書の価値は、ほとんどそこに集約されていると感じます。
締めくくりに著者が引くのは、阪急電鉄をつくった小林一三の言葉です。「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」。
不本意な仕事を嘆くか、そこで圧倒的な成果を出すか。問われているのは結局そこだけ、というのが清々しい。
明日の会議で「これ、本当に自分で選んだ仕事か」と一度問い直し、ついでに自分の時給を計算してみてほしい。その問いから、起業家のように働く一日が静かに始まります。
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『「仕事ができる」とはどういうことか?』楠木建・山口周 本書が説く「Howではなくwhatを考える人になれ」という主張を、別の角度から掘り下げた一冊です。スキルを磨くだけでは仕事ができる人になれない理由を知ると、起業家マインドが目指す先がより鮮明になります。
『ハイパフォーマー思考』増子裕介・増村岳史 本書の「自律的に価値を生む人」が、実際どんな思考のOSで動いているかを言語化した本です。Quick & Dirtyや投資家の視点と響き合い、成果を出す人の頭の中をのぞけます。
『転職と副業のかけ算』moto 本書の「自分の市場価値を意識せよ」というメッセージを、生涯年収という具体策にまで落とした一冊です。会社を辞めずに「自分株式会社」を経営する発想は、本書の起業家マインドと地続きにあります。