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『アフターデジタル』藤井保文さん|リアル店舗は「レアな接点」になる

戦略・経営・事業

「お店で買うか、ネットで買うか」。私たちが無意識に使っているこの区別が、もう成立しない世界が来ています。

中国では、モバイル決済やセンサーの普及で、買い物も移動も支払いも、オフラインの行動がすべてIDに紐づくデータになりました。リアルがデジタルに付加されるのではなく、リアルがデジタルに包含される。本書はこの状態を「アフターデジタル」と呼びます。

著者は藤井保文さん。IT批評家の尾原和啓さんとの共著で、2019年に日経BP社から出版されました。「ITツールの導入」で止まりがちだった日本のDX論を、「社会システムのアップデート」と「顧客体験の変革」の話へ引き上げ、ビジネス界に大きな影響を与えた一冊です。

こんな人におすすめ

どれかに心当たりがあるなら、本書は読む順番として最初に来る本です。逆に、個別のITツールの使い方を知りたい人向けではありません。扱っているのは、もっと土台にある「世界の見え方」そのものです。

この本の核心――競争原理が変わった

本書の主張を一言にすると、こうなります。

勝敗を決めるのは、高頻度の顧客接点から行動データを集め、それを顧客体験(UX)の高速改善に還元するループを回せるかどうか。

ポイントは2つ。1つ目は、データの主役が属性データから行動データに変わったことです。「30代男性」という枠ではなく、「いつ、どこで、何をしたか」が価値を持ちます。

2つ目は、データを集めること自体が目的ではないこと。集めたデータは体験の良さに還元されて初めて意味を持ち、良い体験がまた次のデータを連れてきます。この循環を著者は繰り返し強調します。

本書の強みは、この原理を中国最前線の事例で具体化していく解像度です。フーマー、平安保険、ディディ。事例を並べるだけでなく、「なぜそのUXになったのか」という裏側の思想まで掘り下げているから、説得力が違います。

本書の全体像

構成は4章で、流れがきれいに設計されています。

第1章は、中国で起きている事実を突きつけて危機感を喚起します。第2章で、その背景にある「OMO」という思考法を提示。第3章では、プライバシーや店舗といった既存概念を新しい視座で捉え直し、第4章で日本企業の変革ロードマップに着地します。

事実、概念、応用、実践。危機感から始めて行動で終わる、演繹的な構成です。

行動データが、社会の仕組みごと作り変える

第1章の舞台は中国です。

アリペイなどのモバイル決済が生活に浸透し、シェアリング自転車が街を走り、ジーマ・クレジットのような信用スコアが生まれる。あらゆるオフライン行動がIDに紐づくデータになり、社会を変革しています。

著者がここで見ているのは「中国すごい」という話ではありません。行動データが社会システムをアップデートしている、という構造の変化です。

デジタル化はもう、便利なツールの話ではない。社会の土台の話になっている。この前提を共有するところから、本書は始まります。

オンラインが土台、リアルは「レアな接点」

第2章が本書の心臓部です。

多くの日本企業は「リアルの世界が中心で、デジタルは付加価値」と考えています。著者はこれを「ビフォアデジタル」と呼びます。アフターデジタルの世界では、主従が逆転します。オンラインが土台であり、リアルはめったに発生しない貴重な接点、「レアな接点」になる。

この世界観を戦い方に変換したのがOMOです。本書の定義はこうです。

オンラインとオフラインを融合し一体のものとした上で、これをオンラインにおける戦い方や競争原理と考えるデジタル成功企業の思考法

単なるチャネル統合(O2O)とは違う、と著者は釘を刺します。象徴がアリババのOMO型スーパー「フーマー」。その根っこにあるのは「顧客から見たら融合しているほうが便利」という、徹底した顧客起点でした。

オンラインかオフラインかを気にしているのは企業側だけ。顧客は最初から、便利なほうしか見ていません。

店舗・プライバシー・接客を捉え直す

第3章は、新しい世界観で既存の概念を見直していく章です。

データ活用をめぐっては、規制を整備する欧州(GDPR)と、活用へ突き進む中国が対比されます。プライバシーの議論を「良い悪い」で止めず、立場の違いとして眺める視座が手に入ります。

リアル店舗の意味も変わります。日常の用事がオンラインに移るほど、店舗は「レアで価値ある体験の場」になる。スターバックスの旗艦店がその例として登場します。

そして日本の読者に一番刺さるのが「おもてなし2.0」です。

Zapposやリッツ・カールトンの事例から見えてくるのは、デジタルによる個別化と、人の温かい対応の掛け算です。データで顧客の状況や最適なタイミングを理解した上で、人にしかできない細やかな対応を重ねる。摩擦のない深い感動体験は、この組み合わせから生まれます。

人による細やかな対応は、もともと日本企業の得意分野です。デジタルと組み合わされたとき、模倣困難な武器になる。中国事例で打ちのめされた後に示される、日本の勝ち筋です。

バリューチェーンから、バリュージャーニーへ

第4章は日本企業への処方箋です。変革は3つの層で語られます。

1. 全社戦略 主語を会社や製品ではなく、顧客にする。

2. 事業戦略 顧客を属性ではなく「状況」で捉える。「20代女性」ではなく「退屈な通勤時間中」。状況(ジョブ)にフォーカスすると、本当の競合と、声をかけるべき最適なタイミングが見えてきます。

3. ビジネスモデル モノを作って売り切る「バリューチェーン」から、すべての接点を統合して顧客に寄り添い続ける「バリュージャーニー」へ。製品は売って終わりの主役ではなく、「体験への入り口」になります。

ここまで来ると、冒頭の競争原理が腑に落ちます。高頻度接点も行動データもUX改善も、すべてはバリュージャーニーという長い旅を顧客と歩き続けるための装備でした。

普通の社員が体験を企画できる――UXグロースハック

では、明日から何をするか。著者の答えは意外と地味で、だから現実的です。

大規模なシステム開発から始めない。エンジニア、データ分析者、UXデザイナーからなる小さな「グロースチーム」を組み、既存の顧客接点の小さな改善(クイックウィン)を高速で繰り返す。この行動データとUX改善のループを回す活動が「UXグロースハック」です。

武器になるのが「モーメント分析」です。

平均化された集計データではなく、1人のユーザーの行動を時系列で並べた「モーメントデータ」を見る。「Aのページを見て、次にBの機能を使った」という文脈が見えると、因果関係を推測できます。すると、特別な分析スキルのない普通の社員でも、体験の企画を提案できるようになる。

トップダウンの号令ではなく、ボトムアップの成功体験から変革を積み上げる。本書の実践論は一貫してこの立場です。

正直に言うと、限界もある

紹介される成功例は、アリババをはじめとする巨大プラットフォーマーに偏りがちです。資本力もデータ量も桁違いの企業の話を、日本の中小企業がどこまで真似できるか。ボトムアップの改善手法は示されているものの、ハードルの高さは感じるかもしれません。

事例も2019年時点のものです。ただ、私の読後感としては、古びるのは個別の事例であって、競争原理の見立てではありません。「データ×体験のループ」という骨格は、いま読んでも射程が長いままです。

明日からの4つのアクション

本書のアクションプランは具体的です。

1. 顧客接点を棚卸しする 自社のビジネスが「年に数回だけ」の売り切り型接点になっていないかを確かめる。アプリ、LINE、オウンドメディアなど、日常的に高頻度で繋がれる接点の構築を検討します。

2. ターゲット定義を「状況」で書き直す 「30代男性」をやめて、「特定の課題(ジョブ)に直面している状況」で再定義する。真の競合と、アプローチすべきタイミングが見えてきます。

3. 小さなグロースチームを組む 大規模開発の前に、エンジニア・データ分析者・UXデザイナーの機動力あるチームで、既存サイトや店舗の体験改善を回します。

4. モーメントデータで語る文化を作る 顧客の行動を時系列で可視化し、数字の羅列ではなく「行動の文脈」で社内共有する。誰でも体験改善のアイデアを出せる土壌になります。

全部やろうとしなくて大丈夫です。1の棚卸しだけでも、自社がビフォアデジタル側に立っているかどうかが、はっきり見えます。

おわりに

読み終えて残るのは、「オフラインがなくなる」という言葉の意味の変化でした。

これは遠い未来のSFではなく、競争のルールがすでに変わったという現在の話です。ルールが変わったなら、努力の向け先も変わります。

まずは1つだけ。あなたの会社は、顧客と年に何回会えていますか。その数を数えるところから、アフターデジタルへの一歩が始まります。


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『デジタルマーケティングの定石』垣内勇威 本書が示した「デジタル起点」の世界観を、日本企業のWeb施策の現場レベルに落とし込んだ一冊です。アフターデジタルで方向を掴み、こちらで明日の打ち手を具体化する流れが噛み合います。

『プロセスエコノミー』尾原和啓 本書の共著者・尾原和啓さんが、「完成品の売り切りでは差がつかない時代」の価値づくりを論じた本です。バリュージャーニーの発想を、個人やクリエイターの目線で捉え直せます。

『ジョブ理論』クレイトン・クリステンセン 本書が「状況(ジョブ)」と呼ぶ顧客の捉え方を、原典として深掘りできる理論書です。状況ターゲティングを自分の仕事で使いこなしたい人は、この一冊で理解が立体になります。


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