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『新装版 自分を捨てる仕事術』石井朋彦|個性は、真似しきれなかった残り

キャリア・働き方 石井朋彦
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『新装版 自分を捨てる仕事術』
目次

2000年、22歳の会社員が、憧れの作家の講演会の場で挙手をしました。用意していたのは、質問ではなく持論でした。

その晩、上司からメールが届きます。「質問のタイミングは最低でした」。追い打ちをかけるように、翌朝はもっと短い一言が届きました。

「だれも、君の意見なんか求めていない」

この言葉を放ったのは、スタジオジブリでプロデューサーを務めていた鈴木敏夫氏。当時51歳です。叱られた新人こそ、本書の著者である石井朋彦氏でした。

鈴木氏はさらに、若さの本当の意味を知っているかと問いかけたといいます。答えは、何もないこと。

『新装版 自分を捨てる仕事術』は、この一喝から始まった6年間の記録です。宮崎駿氏、高畑勲氏、鈴木氏という当代随一のクリエイターのそばで、石井氏が何を叩き込まれたかをまとめた一冊です。

図解

こんな人におすすめ

会議で発言の順番を待っているうちに、議論の方が先に進んでしまう。そんな苦い記憶がある人に、まず薦めたい本です。

自分ならではの仕事を探しているのに、何年経っても輪郭がつかめない人。長年やり方を変えずにきて、その延長線上で成果が伸び悩んでいる人にも効きます。

自己実現やセルフブランディングを説くビジネス書が並ぶ棚の中で、本書は逆を向いています。自分を空にして、他人を真似ることから始めよ。この一点だけで、他の仕事術と一線を画しています。

自分の中を探しても、何も出てこない

本書の背骨は、鈴木氏が石井氏に叩き込んだ、ある逆転の発想にあります。

「自分なんてどこにもいない。自分のなかには何もない。何かあるとしたら、それは外、つまり他人のなかである」

自分探しをして内側を掘っても、出てくるものは乏しい。答えは外側、つまり優れた他人の中に眠っている。だから空っぽの状態を作り、他人を丸ごと写し取れ、というのが本書の出発点です。

この主張を、精神論で終わらせていない点が本書の強みです。会議室に何分前に入るか、メールのフォルダをいくつ作るか、謝罪にどの連絡手段を使ってはいけないか。行動の粒度まで具体的に書かれているから、今日から真似る対象がはっきりします。

象徴的なのが、記録の量です。石井氏は無印良品のA4ノートを3日で1冊のペースで使い切っていたといいます。根拠にしているのは忘却にまつわる数字で、人は書き留めなければ内容の半分を忘れ、一晩眠ればさらに大半が抜け落ちる。

だから会議の直後と就寝前に必ずノートを読み返す、という運用まで習慣化されています。

もう一つの強みが、証言の一次性です。宮崎氏、高畑氏、鈴木氏という当事者の仕事ぶりが、石井氏が同席のたびに書きためたノートをもとに再現されています。伝聞ではなく、現場の記録です。

3年間、真似しきれなかった部分が個性になる

本書で最も引用される一節が、これです。

「これから3年間、おれの真似をしな。自分の意見を捨てて、くもりなき眼で世界を観ること。それを3年間続けて、どうしても真似できないと思ったところが、君の個性ということになるから」

個性は最初から自分の中に埋まっているのではなく、模倣を重ねた後に残る差分として立ち現れる。この順序の逆転こそ、本書の核です。

裏づけとなるのが宮崎氏の経歴です。高畑氏の下で働いた20年間、考え方も所作も話し方も真似続けました。字の傾きすら模倣の対象で、右に倒れる高畑氏の字に対し、宮崎氏は左に倒した字を書いていたといいます。それでも最後に残ったのは「宮崎駿」という、誰とも違う輪郭でした。

模倣の対象は、思考ではなく型だと本書は言います。服装、持ち物、話し方、行動といった目に見える動作は、考え方より先にコピーできる。誰を型のお手本にするかは、嫉妬やムカムカといった負の感情、本書が「ザワザワ状態」と呼ぶセンサーで見つけろとも説きます。

自分が本当に欲しいものを、その相手はすでに持っているからです。石井氏は実際、強くコンプレックスを抱いていた同業のプロデューサーにあえて接近し、会議の進め方から愛読書まで研究して真似ています。

もっとも、模倣が常にうまくいくわけではないと本書は正直に書いています。現場を高いテンションで仕切るタイプの型を試したら、息苦しくて発言すらできなくなった、という失敗談も出てくる。

合わないと分かれば捨てればいい。模倣は上書き保存ではなく、通してみて残ったものだけを採用する濾過の作業だという説明には説得力があります。

受け身に徹する「キキ型」という生き方

鈴木氏は、人の生き方をジブリのヒロインになぞらえて二つに分けます。将来の夢に執着して突き進む『耳をすませば』の月島雫のような雫型と、生まれ持った力で目の前の仕事を淡々とこなす『魔女の宅急便』のキキのようなキキ型。本書が勧めるのは後者です。

自分のやりたい企画にこだわるより、他人から持ち込まれた仕事に応える方が、精神的に健全で成果も大きい。石井氏自身、27歳でジブリを離れて自己流にこだわった結果、10年間のスランプに陥った経験を語っています。

抜け出す転機になったのは、鈴木氏と宮崎氏の代表作も、始まりはどちらも他人からの依頼だったという事実でした。

この受動の姿勢は、量をこなす戦略とも結びついています。音楽家の菅野祐悟氏の提案を真似て仕事量を増やしたところ、石井氏は常時8本を制作し、企画段階を含めると12本以上を並行させるまでになったといいます。

ここは読み方に注意が要ります。受動を指示待ちと履き違えると、本書の主張は正反対の結果を招きます。石井氏自身、御用聞きのようにものを作る人は論外だと釘を刺していて、本書の言う受動は、他人の要請に全力で応えるだけの技術を模倣で先に積み上げた人だけが使える手段です。

順番を飛ばして受動だけをまねると、単なる主体性の放棄で終わります。

さらに言えば、24時間ブザーで呼び出されるアシスタント業務や、徹夜に近い献身は、絶対的なカリスマの隣にいた特殊な環境の産物です。労働時間の感覚が今とは違う時代の記録として読み、行動のうち何を持ち帰るかは選り分ける必要があります。

心理的安全性やワークライフバランスを重んじる今の職場論と、本書の師弟関係は前提がそもそも違うことは、頭の片隅に置いておいたほうがいい。

現場で使える技術に落ちている

第2章、第3章は実践編で、抽象論から一気に手順へ降ります。

会議で意見を求められたとき、本書が勧めるのは自分の意見を新しく組み立てることではありません。ノートに控えておいた他人の発言の中から、議論に必要なものを選び、「さきほど〇〇さんがおっしゃったように」と切り出す。

手柄を相手に渡しながら、良い意見を議論の中心に戻す技術です。誰の発言かより、議論が前に進むかどうかを優先する発想が徹底しています。

席順にも仕掛けがあります。議論を広げたいときは全員の視線が自分に集まらない席を選び、決着させたいときは決定権者の視線が届く位置に座る。人を見るときは肩書きで判断しろとも本書は言います。好悪という主観を脇に置き、相手の立場と権限だけを見るためです。

話し方にも型があります。本題に入る前に、共通の話題で場を温める「枕」を置く。これは徳間書店の社長から鈴木氏が学び取り、石井氏へと受け継がれた技術だといいます。原稿は10割覚えず8割にとどめ、当日の相手の反応で残り2割を組み替える余白を残すのだそうです。

文章と伝達の技術も徹底して具体的です。抽象語を避け、固有の情景を積み重ねて書く。宮崎氏の企画書をタイプするとき、読みやすさを優先して改行を変えた石井氏が、鈴木氏から強く叱責された逸話は、主観を混ぜた瞬間に伝達が加工に変わるという教えを、痛みとともに伝えています。

相談を受けたときの対応も独特です。多くの人はすぐ解決策を提示しますが、本書はそれを止めます。相手が求めているのは解決より傾聴であることが多く、焦って答えを渡すと、相談した側にも実行の責任が生まれて不満が残る。

使う道具は普段のノートではなく、相手の目の前に広げたA4の白紙です。そこに、相手の言葉を一言一句そのまま書き写していく。自分の言葉が目の前で文字になると、愚痴や誇張が抜けて話し方が客観的になり、解決策は本人の口から出てくるといいます。

謝罪についても踏み込みます。連絡の不手際で相手を怒らせ、その場で何度も謝った石井氏に、鈴木氏は謝りすぎを厳しくとがめました。焦って繰り返す謝罪は誠意ではなく、気まずさから早く逃れたいという利己心の表れだからです。

怒りが静まるのを待ち、メールでも電話でもなく直接会って一度だけ本気で頭を下げる。安易に謝らない構えがあるからこそ、本当に謝ったときに信頼が動く、という理屈です。

明日から変えられること

読み終えて残るのは、達成感より手順です。今日から着手できる3つに絞ります。

1. 次の会議は、ノートとペンだけ持って行く 自分の意見を組み立てるのをやめ、発言、席順、身振り、場の空気を記録することに徹します。

2. アポイントの候補日を1つだけ出す 複数提示をやめ、自分の都合が良い日時を1つ指定します。本当に会いたい相手は合わせてくれる、というのが本書の経験則です。

3. 相談を受けたら、白紙にそのまま書き取る 解決策を急がず、相手の発言を文字にして見せる。整理は相手自身に任せます。

石井氏が最終的に見つけた自分の核は、鈴木氏に毎日メールを送り続けた2年間の先にありました。パソコンの基礎知識を伝える1通を、休まず500通以上重ねた末に、鈴木氏が見極めたのは「見聞きしたことを正確に整理して伝える」という得意技だったといいます。

3年間、他人を真似続けても、どうしても真似しきれない部分は残ります。宮崎氏が高畑氏になれなかったように。その残りをつかまえるところから、この本の実践は始まります。


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