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『減速して自由に生きる ──ダウンシフターズ』高坂勝|稼がないことを選んだ人の、静かな逆転劇

キャリア・働き方
『減速して自由に生きる ──ダウンシフターズ』

年収600万円のサラリーマンが、年収350万円の小さなバー店主に「降りた」話です。

そう聞くと、多くの人は「気の毒に」と思うかもしれません。実際、私も最初はそう思いました。

ところが本書を読み進めると、この順序は逆だとわかります。降りたから貧しくなったのではなく、降りたからこそ、毎月5万〜15万円を貯蓄に回し、週休3日で米と大豆を自給し、家族との時間を取り戻している。本人いわく、サラリーマン時代より「圧倒的に豊か」になったそうです。

著者の高坂勝さんは、池袋で6.6坪のオーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」を営みながら、千葉で米と大豆の自給を続ける実践者です。本書は、その生き方を支える哲学と具体的な経営術、そして社会へのまなざしを一冊にまとめた、ある種の「降り方の教科書」と言えます。

こんな人におすすめ

本書が刺さるのは、もっと頑張ろうという言葉に、もう疲れてしまった人です。

逆に、まだまだ稼ぎたい、もっと大きなビジネスを作りたい、という人には合いません。本書は「上を目指さない」ことを正面から肯定する本だからです。ただ、上を目指すのに少し疲れた人にとっては、この潔さが救いになります。

この本の核心

本書の主張をひと言にすると、「もっと稼ぐ」より「これ以上稼がない」を選ぶほうが、自由も貯金も増える、ということです。

著者は経済成長至上主義を、終わりが見えないトンネルにたとえています。右肩上がりに走り続ければトンネルを抜けられると信じてきた。でも実際には、走るほどサバイバルゲームが激しくなり、生きるのが辛くなっていく。だから著者は、トンネルから降りる選択をしました。

「more & more」から「less & less」へ。所有を増やす生き方から、手放して自由を増やす生き方へ。この発想の転換が、本書のすべてのアイデアの土台になっています。

おもしろいのは、この転換が著者ひとりの好みの問題ではないことです。米国の経済学者ジュリエット・B・ショア氏が『浪費するアメリカ人』で「ダウンシフター(減速生活者)」という言葉を使い、過度な消費主義から抜け出してペースを落とす人々を調査・命名しました。著者はその日本版にあたる実践者です。個人の生き方を変える話のように見えて、その背後には、消費社会そのものの限界という大きな文脈があります。

本書の全体像

本書は、ミクロな個人の物語からマクロな社会論へとスケールアップしていく構造を持っています。

序盤は、著者自身のドロップアウト体験です。29歳で年収600万円、休日は月8日、朝9時から夜21時過ぎまで働く激務のなか、「モノが溢れているこの社会は、何だかオカシイ」という違和感が芽生えます。退職して放浪の旅に出た著者は、海に沈む月を見て涙が止まらなくなる。お金をかけなくても感動できることに、改めて気づいた瞬間でした。

中盤は、経営の話です。池袋で開いた6.6坪・14席のバーを、週休2日(のちに3日)、1日5時間半の営業で黒字経営にする方法。借金をせず、内装は自分で作り、繁盛させないことを目標に掲げる、独特の経営術が語られます。

後半は、自給と社会論です。千葉県匝瑳市の田んぼで米と大豆を自給し、年金や医療や就職といった既存システムへの依存から少しずつ距離を取っていく。最終的には、ダウンシフトする個人が増えれば、企業のダウンサイジングや農コミットへとつながり、環境問題や格差問題まで動かせるという、ボトムアップの社会変革論にたどり着きます。

個人の引き算が、地球の好循環にまで届く。この射程の長さが、本書を単なるスローライフ本と分ける特徴です。

ライフスタイル基準金額という発想

本書の中心概念のひとつが「ライフスタイル基準金額」です。これは、自分が幸せに暮らすために本当に必要な月々の金額を計算し、ビジネスの売上目標をそこから逆算するという考え方です。

普通の経営は、売上の最大化を目指します。著者の経営は逆で、必要な金額に達したら、それ以上は稼がない。著者の店では、1日5人のお客さんが来てくれれば生活が成り立つように設計されています。もし目標以上の売上が見込めるなら、定休日を増やして自分の時間を増やす。

この発想を著者は「稼がない自由」と呼びます。稼ぐ自由はもちろんあるけれど、ある程度で満足してそれ以上は稼がない自由もあるはずだ、と。

数字で見ると、その効果は明らかです。会社員時代は年収600万円で休日は月8日でした。今は年収約350万円ですが、毎月5万〜15万円を貯蓄に回せ、週休3日で、米と大豆は自給。額面の年収は減っているのに、可処分時間と可処分所得(手元に残るお金)はむしろ増えているわけです。

ここから、著者の経営哲学全体が導き出されます。借金をしない。先行投資をしない。販促で客を呼ばない。ライフスタイル基準金額を超える売上は、むしろ自分の自由を奪うので歓迎しない。一見、後ろ向きに見えるこの態度が、結果として持続可能な黒字経営を生み出しています。

ミニマム主義とスモールメリット

「規模が大きいほど有利」というスケールメリットの考え方は、ビジネスの基本とされてきました。本書はその逆を行きます。著者が提唱するのは、小さいからこそ得られる利点を最大化する「スモールメリット」です。

たとえば、店が小さいから掃除機がいらず、箒で済む。湯沸かしのヤカンを買わずに、調理用の鍋でそのまま湯を沸かす。一人で切り盛りするから、マニュアルも会議も要らず、自分のペースで店を回せる。設備投資が要らないので、固定費も減る。客が一人もいない時間は、本を読んだり昼寝をしたりして過ごす。

これを支える価値観を、著者は「ミニマム主義」と呼びます。お金とはきちんと向き合うけれど、キリがない欲望には付き合わない。ここがポイントです。お金を否定しているわけではありません。むしろ、お金との距離感を保つために、欲望のほうにブレーキをかけている。

著者が大事にするのは、「何をするか」よりも「何をしないか」を決めることです。おしぼりを出さない。割り箸を使わない。チラシを撒かない。値引きセールをしない。やらないことを決めることで、コストが減り、手間が減り、店の個性が立ち上がる。引き算することで、足し算では届かない場所に行けるという逆説です。

経営者の視点でも、これは示唆的です。多くの会社が「効率化」と「規模拡大」を同時に追いかけて疲弊する一方、著者は規模を拡大しないからこそ、効率化を急がずに済んでいる。スモールメリットは、規模を追わない人だけが手にできる果実なのです。

半農半Xという二本足の立ち方

本書のもうひとつの柱が「半農半X」です。生活の半分を自給農でまかない、残り半分を自分の天職や得意なこと(X)に充てる生き方を指します。提唱者は塩見直紀さんで、著者はその実践者の一人です。

著者は、千葉県匝瑳市で「冬期湛水・不耕起栽培」という農法を採用しています。冬の間も田んぼに水を張り続け、土を耕さず、農薬も化学肥料も使わない。完全な素人だった著者でも、1反あたり8俵の米を収穫できました(通常農法は9俵、有機農業では7俵程度なので、素人としては破格の数字です)。年間を通した作業日数は、合わせて約20日。それだけで、家族1年分の米と大豆が自給できる計算になります。

ここで一つ補足しておくと、お米の自給がここまで効くのは、日本人の主食だからです。日本人1人当たりの平均米消費量は年間約60キロ。著者の田んぼは1人当たり150キロ取れるので、十分すぎるほどの余裕があります。さらに大豆を自給できれば、味噌・醤油の原料も賄えます。主食と発酵調味料が手元にあるという事実は、家計の話を超えて、生きていける、という根源的な安心感を与えてくれます。

著者はこれを「自給・自立・自由の三位一体」と表現しています。土と種があれば、何があっても飢えない。だからお金が少なくても怖くない。だから本当にやりたい仕事を選べる。半農があるからXが自由になる、という関係です。

ちなみに、田んぼと聞くといきなりハードルが高く感じられますが、本書はそこも段階的です。いきなり田んぼを借りるのが難しければ、ベランダのプランターから始める。週末に農家のお手伝い(援農)に参加する。味噌や梅干しを自分で漬けてみる。買う人から作る人へのシフトは、ごく小さな一歩から始められます。

円ではなく縁で回る経済

著者が大切にするのは、お金(円)よりも、人とのつながり(縁)です。これも本書の中核となる発想で、「友産友消(ともさんともしょう)」という言葉に象徴されます。地産地消をさらに狭くして、信頼の年輪を重ねた友のあいだだけでモノとお金を循環させる仕組みです。

著者の店では、常連客が信頼できる生産者を紹介し、その生産者の野菜が他の店にも使われ、生産者も店も客も喜ぶ循環が生まれています。たとえば、八百屋のマイト城山さんから美味しい野菜を仕入れていた著者が、近所の同業者にお節介で紹介したところ、近隣4店舗で使われるようになり、皆が得をした。常連のKさん一家は、伝統的な無添加発酵食品を日常的に食べていたため、外食で集団ノロウイルス感染が発生したときも一家だけ発症しなかった、というエピソードもあります。

ポイントは、ここで動いているお金の総量は変わらないか、むしろ減っているかもしれない、ということです。ただし、お金の流れる先が、巨大なグローバル市場から、顔の見える地域の関係者へと移っている。同じ消費でも、誰の生計を支えているかが変わる。著者はこの違いに、社会変革の手応えを見ています。

経済評論家の内橋克人さんが提唱した「Think Small Fast」という言葉も本書に登場します。まず考えるべきは、小さい人、弱い人、遠い人だ、というメッセージです。グローバル経済の上位ではなく、足元の関係から積み上げていく経済観が、ミニマム主義と地続きで語られています。

暮らしから始まる社会変革

本書の射程は、個人の暮らしから企業、そして社会全体にまで広がっていきます。

著者は「ダウンサイジング」を企業にも提案します。経済が縮小したときにリストラするのではなく、労働時間を減らしてワークシェアリングする。実例として、株式会社アシスト元社長のビル・トッテン氏が、利益が6掛けになったら給料も6掛けにするが、労働も週休4日にして一人もリストラしない、と宣言した話が紹介されています。同氏は社員が自給農を始めるのを助成する制度まで導入しました。

さらに踏み込むと「農コミット」という構想に至ります。企業が従業員に農作業を体験させ、同時に労働時間を短縮する。社員は半農半Xに近い生き方を会社の中で始められ、企業は新しいCSRと地域循環の入口を持てる。一見ユートピア的に聞こえますが、すでに動き始めている事例として書かれている点が特徴です。

著者がここで持ち出す数字も興味深いものです。日本の総労働者は約6000万人で、そのうち非正規が約2000万人。CO2の8割以上は産業界が出しており、その半分はたった150社が出している。化石燃料は石油40年、石炭155年、天然ガス65年、ウラン85年で枯渇する。これらの数字を前にしたとき、個人の引き算と企業のダウンサイジングは、もはや「贅沢な選択肢」ではなく、「現実的な選択肢」になってくる、というのが著者の見立てです。

社会が変わるスピードが臨界点を超えるのは、行動する人が全体の5%を超えたときだ、とも書かれています。残りの95%を説得する話ではなく、5%が先に動いて事実をつくる話。本書はそういう位置からの提案です。

実践アクション

ここまでの内容を、明日からの行動に落とし込みます。本書のなかから、今すぐ動かせるものを5つ選びました。

1. ライフスタイル基準金額を計算する 今の生活で、本当に幸せを感じている支出はどれか、世間体や広告に煽られている支出はどれか、を分けて書き出します。そのうえで、自分が望む暮らしを月いくらで賄えるかを計算する。すると「今の仕事を我慢してまでこれ以上稼ぐ必要はないかもしれない」という気づきが生まれます。

2. やめることを3つ決める やることを増やすのではなく、やめることを決めるのが先です。自動販売機の利用をやめる、コンビニの無意識買いをやめる、見ていないサブスクをやめる。この三つだけでも、月の支出と意思決定の総量が減ります。

3. 顔の見える店でお金を使う チェーン店や大型スーパーを完全に避ける必要はありません。週に一回でいいので、近所の八百屋、豆腐屋、個人カフェなど、顔の見える相手にお金を渡す日を作る。お金の流れる先を変える、ささやかな実験です。

4. お金ではなく時間をかけてみる 普段ならお金で済ませることを、あえて時間で済ませてみる。乾物から出汁を取る、味噌を仕込む、靴を直して履き続ける、家具を自分でメンテナンスする。手間を楽しむ時間が、消費を娯楽にしていた時間と置き換わります。

5. 土に触れる時間を作る ベランダのプランター、庭の片隅、市民農園、週末の援農。スケールはなんでも構いません。種を蒔き、芽を出し、実をつけるサイクルを自分の生活に入れると、買う人から作る人への小さなシフトが始まります。

どれも、今日や今週から始められる行動ばかりです。本書の特徴は、いきなり脱サラを推奨しないところにあります。著者は、今の仕事を辞めずに、片足を農や社会活動に置く段階的なシフトを推奨しています。会社員のまま、暮らしの一部だけをダウンシフトする、という入り方が現実的です。

限界と注意点

本書を勧めるうえで、触れておきたい限界もあります。著者は独身時代に退職し、その後結婚して共働きという環境で実践しています。家族を抱えてローンを払っているという立場から見ると、すべてのステップをそのまま適用するのは難しい場面もあります。

ただし、著者自身がこの限界を自覚している点は重要です。本書は「全員ダウンシフトしろ」という本ではなく、「降りる選択肢を持っておこう」という本です。今すぐ会社を辞める話ではなく、辞めなくても生きていけると思える状態をつくる話。この温度感を取り違えないことが、本書を実用書として読むコツです。

もうひとつ、著者の価値観(オーガニック、無添加、半自給)はかなりはっきりしています。合わない人には、極端に映る箇所もあるかもしれません。私自身、すべての主張に同意するわけではありません。それでも、ライフスタイル基準金額やスモールメリットといった概念は、価値観を超えて使える道具として残ります。本に同意しないと、本から何も得られないわけではない。そう思って、各自の射程で受け取ればよいと思います。

おわりに

本書を読み終えて残るのは、贅沢を諦めようという気持ちではありません。逆です。「自分にとって本当に必要な贅沢は何か」という問いが、強く立ち上がってきます。

著者の言葉で、いちばん印象に残ったのはこの一文です。

「しっかり稼ぐのも自由ですが、ある程度で満足して、それ以上は稼がないという自由もあるのです。」

稼ぐ自由は、社会から繰り返し提示されます。一方、稼がない自由は、自分で発見しないと一生気づかない可能性があります。本書は、その後者の自由を、具体的な数字と経営術と田んぼの話を通じて、目に見えるかたちにしてくれる本です。

もっと頑張れ、という声に少し疲れてしまった日に、開いてみてほしい一冊です。


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