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『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲|「やればできる」の呪いを科学で解く

キャリア・働き方 ✍ 橘玲
約8分で読めます

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『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』
目次

「努力すれば、誰でも変われる」。

自己啓発書を開くと、たいていこう書いてあります。私もずっと信じていました。能力は伸ばせる。性格も直せる。頑張れば幸福になれる、と。

でも橘玲さんの『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』は、その前提を真正面から疑います。能力は思いどおりには開発できない。性格も、基本的には変えられない。進化と遺伝が作った私たちの心には、努力では越えられない壁があるからです。

ここだけ読むと、絶望的な本に見えます。でも、読み終えた私の感想は逆でした。著者が言いたいのは「だから諦めろ」ではないからです。変えられないものを正しく知り、苦手な土俵から降りて、自分の適性が活きる場所で勝負する。それが本書の言う「たったひとつの方法」です。

結論を先に置いてしまいましたが、ここに至るまでに著者が積み上げる科学の論拠こそが本書の読みどころです。順番に追っていきましょう。

図解

この本が刺さるのは、こんな人

念のため書いておくと、これは努力そのものを否定する本ではありません。努力の「方向」を一度も疑ったことがない人ほど、読むと景色が変わるタイプの本です。

逆に「努力すれば何でも変えられる」と信じ続けたい人や、遺伝や適性の話を聞きたくない人にとっては、終始しんどい読書になるはずです。突きつけられる事実が、これまで信じてきた物語を静かに壊しにかかってくるからです。

自己啓発が約束する「4つの福音」

本書がまず手をつけるのは、世の自己啓発書が共通して前提にしているものの正体です。著者はそれを4つに整理し、「福音」と呼びます。福音とは、信じる者を救うありがたい教えのこと。

ひとつ、能力は開発できる。努力次第でスキルはいくらでも伸ばせる。ふたつ、わたしは変われる。性格や人格は意志で作り変えられる。

みっつ、他人は操れる。正しいテクニックを使えば他人の行動はコントロールできる。よっつ、幸福になれる。前の3つを達成すれば、最後に幸福が手に入る。自己啓発というジャンルは、この4点の上に成り立っているという見立てです。

言われてみれば、書店で平積みになっている本のほとんどが、このどれかを約束しています。スキルアップ本は1つめを、性格改造本は2つめを、交渉術や心理術の本は3つめを、そしてそれらの先に4つめの幸福をぶら下げる。それくらい、この4つの福音は私たちの常識に染み込んでいます。

橘さんは、この前提が「大きすぎる」と指摘します。やってもできないことはあるし、性格も思うほど自由には変えられない。進化の過程で形づくられた人間の心には一定の限界がある、というわけです。

これは「努力に意味がない」という話ではなく、努力すれば何でも手に入るという約束が過剰だ、という指摘だと私は受け取りました。約束のサイズを正直な大きさまで戻すこと。本書の議論は、その一歩から始まります。

「やればできる」をめぐる、ふたつの生き方

この前提の対立を、著者は2010年前後に話題になったある論争を通して描き出します。勝間和代さんと香山リカさんの対立です。

勝間さん——その支持者は「カツマー」と呼ばれました——の立場はこうです。徹底的に努力し、スキルを習慣として身につければ、誰もが経済的な独立と幸福を勝ち取れる。まさに「やればできる」を体現する生き方です。

一方の香山さん——同じく「カヤマラー」——は、勝間さんのような生き方を全員が目指す必要はない、むしろ「しがみつかない」生き方もあると説きました。過度な努力主義は、心と体を蝕む危険があるという指摘です。

著者は、この対立の本質が単なる性格論や処世術の違いではないと見ます。背景にあるのは、能力主義とグローバル資本主義のなかで「自由と平等」をどう考えるか、という現代的なテーマです。

誰もが努力で成功できる世界は、聞こえはいい。けれど裏を返せば、成功できなかったのは努力が足りなかったからだ、と個人を追い詰める世界でもあります。自由であることと、すべての結果を自己責任で引き受けさせられること。その両面が、この論争には透けて見えるわけです。

成功哲学のルーツは、19世紀にあった

では、この「努力すれば成功できる」という強力な物語は、どこから来たのか。著者は議論を抽象論で終わらせず、そのルーツを19世紀までさかのぼって見せます。

源流にあるのは、ハーバート・スペンサーが唱えた「社会進化論」です。ダーウィンの進化論を人間社会にあてはめた考え方で、生物が進化するように人間社会も未開から文明へと進み、市場の競争を通じて優れたものが生き残る。いわゆる「適者生存」です。

この発想は、当時のアメリカの富豪たちに熱烈に支持されました。代表が鉄鋼王アンドリュー・カーネギーです。社会進化論は、富の蓄積や貧富の差を「自然の摂理」として正当化してくれる。自分が成功したのは適者だったからだ、という都合のいい説明を与えてくれたからです。

そしてここで、一冊の有名な本が登場します。カーネギーにすすめられて成功哲学を体系化したのが、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』でした。今に続く成功哲学の源流は、この時代にあります。

私たちが何気なく口にする「自己実現」や「やればできる」が、実は弱肉強食の思想と地続きだった。この読み解きがあるだけで、おなじみの言葉が急に色を変えて見えてきます。励ましの言葉の裏に、敗者を切り捨てる論理が静かに同居している。著者はそれを丁寧に剥がしてみせます。

才能はひとつの物差しでは測れない

ここから著者は、人間の能力を冷静に見直す道具を持ち出します。心理学者ハワード・ガードナーの「多重知能(MI)理論」です。

出発点はシンプルで、知能はIQという単一の数字では測れない、人にはそれぞれ独立した知能の部品のようなものがある、と考えます。本書では9つが挙げられます。

言葉への感受性である言語的知能(詩人・政治家)、論理的な分析を担う論理数学的知能(科学者・コンサルタント)、音楽のパターンを扱う音楽的知能。体を巧みに動かす身体運動的知能(スポーツ選手・外科医)、空間を読む空間的知能(パイロット・建築家)、世界を分類する博物的知能。

そして、他人の意図を読む対人的知能(教師・セールスマン)、自分を理解し制御する内省的知能、最後に暫定的な提案として、宗教的・神秘的な体験を扱う実存的知能。九つもの軸があると言われると、自分がどこかに必ず引っかかる気がしてきます。

大事なのは結論のほうです。人にはそれぞれ得意な知能と苦手な知能がある——当たり前のようでいて、IQという一本の物差しで全員を並べる発想に慣れた私たちは、これを案外見落としています。

学校の成績、偏差値、入社試験。私たちが「頭の良さ」を測ってきた尺度は、せいぜい言語と論理数学の2つに偏っていました。残りの7つの知能は、ほとんど評価されないまま放置されてきたわけです。

能力主義が生んだこの錯覚を、多重知能理論はやわらかく解いてくれます。後半の生存戦略の伏線が、ここに静かに置かれています。

いちばん残酷な数字は、双子から出てくる

本書で読者がいちばん身構えるのは、行動遺伝学のパートです。知能や性格が遺伝と環境でどう作られるかを、統計的に調べる学問。その主役が双生児研究です。

遺伝子が100%一致する一卵性双生児と、半分ほどしか一致しない二卵性双生児を比べると、遺伝の影響が浮かび上がります。ここから出てくる数字が、なかなか過酷です。

著者によれば、IQのおよそ70%は遺伝で決まるとされ、知能指数の相関がもっとも高く出る0.86という値も、遺伝子が一致する一卵性双生児のグループでした。

別々の家庭で育った一卵性双生児のほうが、同居して育った二卵性双生児よりも知能の相関が高い。

(橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』より、趣旨を要約)

これは直感に反します。一緒に暮らしたかどうかより、遺伝子が同じかどうかのほうが、知能の似かたを強く決めている。育った環境より、生まれ持ったものの影響が大きい。私の背筋が寒くなったのは、まさにここでした。

さらに著者は、子育てにも踏み込みます。心理学者ジュディス・リッチ・ハリスの仮説です。

彼女によれば、子どもの性格形成において「親の育て方」の影響はほとんどない。多くの親にとって、これは受け入れがたい主張でしょう。では何が性格を決めるのか。著者がハリスの仮説として挙げるのは、遺伝と、もうひとつ「子ども同士の集団」、つまりピア・グループです。

ピア・グループとは、家庭の外で作られる同年代の仲間集団のこと。子どもは親の前での顔と、友だちの前での顔を使い分けます。そして人格に決定的な影響を与えるのは、後者のほうだと著者は言います。

もしこれが正しいなら、従来の子育て観は大きく揺らぎます。「どう育てるか」より「どんな仲間集団に入るか」が効く。引っ越しや学校選びが、しつけの工夫より重い意味を持ちかねない、ということになります。

能力は遺伝に左右され、性格は親の手を離れた場所で決まる。私たちが自由にコントロールできる範囲は、想像よりずっと狭いのかもしれません。ここまで来ると、本書のトーンはタイトルどおり、たしかに残酷に響きます。

戦う場所を、間違えていただけ

では、私たちは何もできないのか。ここで本書は反転します。能力も性格も変えにくい。それでも、変えられるものがひとつ残っている——それが「戦う場所」です。

著者はこれを「伽藍とバザール」という比喩で語ります。伽藍は寺院の堂宇のような閉鎖的で組織的な構造、バザールは人とモノが自由に行き交う開放的で流動的な市場です。

閉じた組織で苦手なことを我慢して耐え続けるのではなく、自分の適性が評価される開かれた場所へ移っていけ。それが彼の生存戦略です。

ここで先ほどの多重知能が効いてきます。適性に欠けた能力は、いくら訓練しても伸びにくい。だとすれば、苦手な土俵で人並みを目指して消耗するより、得意な知能が活きる場所を選んで勝負したほうがいい。

努力を捨てるのではなく、努力が報われる場所を選び直す。これが「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」の核心です。能力も性格も思いどおりには変えられないという事実を受け入れたうえで、唯一変えられる「場所選び」に賭ける。それがこの本のたどり着く答えです。

ひとつ留保を加えるなら、「バザールに移れ」という処方は言うほど簡単ではありません。家族や生活を抱えた人にとって、転職や独立はそれ自体が大きなリスクです。

本書を読んで現状をすべて投げ出すのは早計でしょう。まずは9つの知能のなかから自分が無理なく力を発揮できる軸を1つ書き出し、それが活きる場面を探す。

あるいは副業や社外活動で、小さく適性を試してみる。そんな「半歩」の動きから始めるのが現実的だと思います。それでも、苦手な場所で耐え続けるという選択肢を一度疑ってみる価値は、十分にあります。

おわりに

私自身、この本を読んで少しほっとしました。

長いあいだ「努力が足りないからだ」と自分を責めてきたけれど、変えられないものがあると認めるのは敗北ではない、と著者は言います。むしろ、変えられないものへの浪費をやめて、変えられる場所選びに集中できる。

「やればできる」は嘘ではありません。ただし、得意な場所でだけ成り立つ言葉です。苦手な土俵に立ったまま、その言葉に従い続けると、人は静かに消耗していきます。

今いる場所が苦しいなら、それは才能の問題ではなく、立っている土俵の問題かもしれない——残酷なのは世界のほうで、あなたではない。そう思えただけで、この一冊を読んだ価値がありました。


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努力を重ねた。毎日頑張った。なのに、成果が出なかった。 努力が報われなかった経験に寄り添うコラム。本書の「戦う場所を間違えていた」という視点を、自分の体験に引きつけて考えられます。


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