「めちゃくちゃ嬉しいです」と言ったのに、相手にいまいち響かなかった。そんな経験はありませんか。
私は何度もありました。気持ちは本物なのに、言葉にすると軽い。「とても」「すごく」「死ぬほど」と強調しても、なぜか上滑りする。語彙が足りないせいだと思っていました。
でも『たとえる技術』を読んで、原因が違うのかもしれないと思い直しました。著者のせきしろさんが指摘するのは、問題は語彙ではなく「たとえていない」ことだ、という視点です。感情を強調する副詞ではなく、具体的な情景に置き換える「たとえ」こそが、気持ちの輪郭を相手に届ける――そう言われると、確かに自分の言葉が滑っていた理由に思い当たります。

「とても」では伝わらない、という指摘
本書の出発点はシンプルです。「〜のような」「〜のように」というたとえを一つ加えるだけで、コミュニケーションが豊かになる。
反直感的なのはここです。普通は「死ぬほど嬉しい」と大げさにすれば伝わると思う。でも実際には、わざとらしくなって逆効果になりやすい。むしろ誰もが知っている具体的な瞬間を借りたほうが、感情の度合いが相手にくっきり届く――本書はそれを膨大な実例で証明していきます。
著者は、たとえることの効用を「感情を共有できる」「オリジナリティが生まれる」「伝わりやすくなる」という方向で整理しています。面白いのは、著者自身が「たとえは社会生活に必須ではない」と言い切っているところ。なくても生きていける。でも、あると世界の見え方が変わる。その「きっかけ」としての力に賭けた一冊だと感じました。
せきしろさんは芸人の又吉直樹さんと自由律俳句で共著を出すほどの言葉の専門家です。だから本書は理屈っぽい修辞学ではなく、日常の景色をユーモアで切り取る実践書になっています。
「センス」を「手順」に分解する痛快さ
「たとえが大事なのは分かった。でも、とっさに思い浮かばない」。そう思いますよね。私もそうでした。
ここで本書がすごいのは、ひらめき任せにしないこと。たとえたい対象に似たものを探して並べるだけ、という拍子抜けするほど単純な型を提示し、しかも「何を手がかりに似たものを探すか」まで具体的に示してくれます。
たとえば雲。形が似ている綿菓子、色が似ている女将さんの足袋――材料の見つけ方には明確な切り口があり、本書ではそれが複数紹介されています。さらに「ありきたりを避けるコツ」も明快で、誰でも思いつく「綿菓子のような雲」に自分の言葉を一語足すだけで、
縁日で親に買ってもらった綿菓子のような雲
と、ノスタルジーまで載せた“あなただけの表現”に化ける。たった一言で平凡が個性に変わる瞬間は、読んでいて素直に気持ちがいい。
行き詰まったときに視点をスライドさせる発想や、誰もが知る共通体験から材料を選ぶ考え方など、引き出しはまだいくつもあります。ただ、その手順を全部ここで再現してしまうと本書を読む楽しみが消えるので、残りは本書で確かめてほしいところです。
たとえが「ピンチを切り抜ける武器」になる
私が一番うなったのは、たとえが感情表現の道具にとどまらない、という後半でした。
たとえば、気まずい沈黙。あまり親しくない人とエレベーターで二人きりになり、「いい天気ですね」「はい」で会話が止まる。あの場面に、天気へのたとえを一つ添えるだけで糸口が生まれる。相手が共感しても、逆に「え、そうですか?」と疑問を持っても、どちらに転んでも会話が続く――この“負けない”構造の説明には膝を打ちました。
さらに本書は、口にしてしまった失言を賛辞へ逆転させる方法にまで踏み込みます。事実は認めたまま、ネガティブをポジティブに塗り替える。その具体的な切り返しは思わず笑ってしまうほど鮮やかなのですが、ネタバレになるので伏せておきます。比喩が人間関係のセーフティネットになる、という発想があるとだけ言っておきます。
おいしさを勢いだけで伝える“ある裏ワザ”には、著者がつけたキャッチーな呼び名まであります。これも本書で出会ってこそ効くので、ここでは名前を伏せます。そして著者は、たとえの使いすぎがかえって相手を辟易させることにもちゃんと触れていて、ブレーキの存在が本書を信頼できるものにしています。
たとえが、自分そのものになる
終盤、著者の個人的な打ち明け話が出てきます。
雑誌のキャプションで厳しい文字数制限と格闘するうち、独特なたとえを多用するようになった。最初は字数を埋めるための苦肉の策。それがやがて「ここは私が書いているんだぞ」という存在証明へと変わっていく。たとえが、文章を飾る技術から書き手のアイデンティティへ昇華していく過程は、表現に関わる人なら誰でも刺さると思います。
ちなみに、そのこだわりの原稿がどうなったか――この本らしいオチが添えられているのですが、その自虐の落とし方こそ本書の味なので、ぜひご自分で読んでみてください。
どんな人に効くか
この本の良いところは、たとえを「センス」の問題にしないことです。似たものを探す、一語足す、視点を引く。どれも才能ではなく、訓練の話として書かれています。
だから刺さるのは、感情や説明を「言葉のセンスがない」で諦めてきた人。雑談や会話の糸口を、運ではなく技術として手元に置きたい人。逆に、論理的で正確な実務文章だけ書ければ十分という人には、やや遠回りに感じるかもしれません。
私自身は読んでから、信号待ちに空の雲を何かにたとえる癖がつきました。たいてい大したものは浮かびません。でも、たまにしっくりくる一言が出ると、世界が少しだけ面白く見える。「とても嬉しい」と言う前に一拍置いて、「〜のような」を一つ足す。その小さな習慣の効き目を、本書で試してみてほしいと思います。
合わせて読みたい
なぜあなたの説明は記憶に残らないのか──「たとえ」と「シンプルさ」が伝達力を変える 本書のテーマをそのまま掘り下げたコラムです。なぜたとえが記憶に残るのか、伝達の仕組みから知りたい人に響きます。
『具体と抽象』細谷功さん たとえを作る作業は、対象の特徴(抽象)を抜き出して別の似たもの(具体)に当てはめる行為です。本書の「似た形を探す」発想の根っこにある思考を、構造から理解できます。
『言語化力』三浦崇宏さん 「言葉にできない」を武器に変える一冊。本書のオリジナリティ論──自分の言葉を一つ足して差別化する発想と、深く響き合います。



